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3.式外の神の片思い

翌日からアマネのヤマユラの里での生活が始まった。
村の者達は驚くほど気さくで、アマネを当たり前の様にすんなりと受け入れた。トゥスクルが長を務めているからだろうか、ありがちな閉鎖的なところがヤマウラの里には全く感じられ無い。

「・・・・・・・良い村ですね、ここは」

村を案内してくれる、と言って供に出てきたアルルゥにそう語りかけると、「ん」と簡単だがどこか誇らしげな感情を含んだ声が返ってきた。
アルルゥ、彼女もまたトゥスクルの孫でミコトと父の血を引く娘だ。エルルゥほどではないけれど、彼女もミコトの面影がある。ちょろちょろと彼女の足元を歩くのは、森の主と呼ばれる白い獣。気性が荒く、子供とて懐かせるのは難しいはずなのにアルルゥの足元に甘えるように擦り寄る様は大きさとも相まってまるで猫の子のようだった。

「ん~、ムックル歩きにくい・・・・」
「ミャウ~~」
「だ~め、自分で歩くの。抱っこは重い」

まるで本当に会話をしている様にぽんぽんと交差する二人の声。「ミャ~」、と悲しげに"泣いた"白い獣は其の言葉に益々身体をアルルゥの足に摺り寄せる。
あれでは歩きにくいだろうと、アマネがムックルに手を伸ばすとアルルゥからすかさず「駄目」と声がかかった。

「ムックル、最近全然歩かない。抱っこ重い、だから歩かせるの」
「・・・・・・・・そうなのですか?」
「ん」

こっくりとアマネに頷いて、ムックルにも「ね」、と言い聞かせる。「ミャウ~」とまた悲しげな声が白い獣の口からもれ出た。
聞いた話ではムックルは荒ぶり、村人に害をなした為退治された森の主の子供なのだという。本来なら殺されなければならなかった所をアルルゥが親代わりとなる、という条件でこうして村の中にいるそうなのだが。

「アルルゥとムックルは本当に親子みたいですね」
「ん~~、アルルゥはムックルのお母さん。約束したから」

誰と、とは聞かない。きっとそれはアルルゥにも解らないことだろう。
彼女は声を聞いた、森の主の最後の願いを。だからアルルゥとムックルは供にいる。そしてそれこそが、彼女がミコトの血を引いているという証でもあった。
彼女もまた、獣と心を通わせる力を持っていた。アマネが育てた小さな子供にも有った同じ力が。

「こっち」

ぐい、と腕を引かれた方を向けば、前方に見えてきたのは一面に広がった畑だった。どうやら今度はこの畑の事を教えてくれるらしい。
歳の頃にしては口数も少なく、また必要最低限の言葉しか口にしないアルルゥは案内人としては不向きだろうと、本当はエルルゥが案内してくれるはずだったのだが、薬師見習いである彼女には行わなければならない事が沢山あり、それに何よりもアルルゥが自分からアマネを案内したいと言ったのだ。その時のエルルゥとハクオロの驚いた表情を思い出して、思わずアマネの口がほころんだ。

「ん~?」
「何でもないですよ、今度はここを案内してくれるの?」
「ん」

彼女が人見知りが激しく、初対面の人間には滅多に懐こうとしない、と聞いたのは家を出る直前だった。実際、歩き始めてもアルルゥはどんどん先に行ってしまい歩調が合わさる事は無かったし、会話も「こっち」や「あっち」と言った完結な物ばかりできちんと繋がった会話をしたのは数える程度でしかない。それでも嫌われている、と感じないのは彼女が自分に触れるのを躊躇わないからだろう。それに慣れれば、ぶっきらぼうに聞こえる口調にもちゃんと感情が篭もっている事が解る。

「この葉は、モロロですか?」
「ん」

目の前に広がるのは一面に緑の葉を茂らせた畑だった。
植えられている葉は、モロロのものだろう。元々痩せた地でも生える強い植物。アマネも今朝エルルゥの作ったモロロ汁をごちそうになった。
だがアマネの目を引いたのは明らかに周りの土とは色や質感が違う土と、きちんと整えられた畑の様子だった。言っては失礼かもしれないが、これまで村の中で見た畑とは明らかに様相が違う。

「おと~さ~ん!!」

とてとてと前を歩いていたアルルゥの足音が早くなる。見れば畑の真ん中で、大柄な男と話しているのはアルルゥと、そしてアマネの父親である男。
ぽすっ、と軽い音が響きアルルゥがハクオロの足にしがみ付いた。

「おっと」

アルルゥの軽い身体を受け止めると、途端ハクオロの表情が綻び喜色の色を浮かべる。殆どが仮面に隠れてはいるものの、口元や目元から其の表情を読むことは容易い。
アルルゥにも其の事が解っているのか、表情だけでなく尻尾がぴょこぴょこと動き喜びを表に出す。

「おと~さん、案内してきた」
「そうか、偉いぞアルルゥ」
「んふ~♪」

頭を撫でられてアルルゥの尻尾が更にブンブンと左右に振られる。 ムックルも嬉しげにハクオロの足元にじゃれ付いている。
まるで本当の親子のような光景。
父親と娘がただ、お互いを思いあいながら供に居る。そんな当たり前の、けれど"彼が"ずっと願っていた光景。

「やぁ、村の中はどうだったかな。何か不都合な事とかは有ったかい?」

ただぼんやりと、そんな"当たり前"の光景を見ていたアマネは、其の声が自分にかけられたものだと気付くのに、少し時間がかかってしまった。

「え、あ、はい。皆さん、とても良くして下さいました」

「とても良い村ですね」、と続けるとハクオロはまるで自分の事を褒められた様に嬉しげに微笑んだ。
どれくらいぶりだろう、彼のこんな穏やかな微笑みを見るのは。
同じ娘とはいえ、自分には決してこんな風に笑いかけてはくれなかった。
彼が自分に向けてくるのは、何時だって苦しそうで、そして悲しそうな顔ばかりだった――――――。

「よっ! あんたか、村長のお師匠さんってえのは?」
「はい?」

大柄な、斧を背に担いだ男がアマネに話しかけてきた。
初対面だというのに、随分と砕けた口調に一瞬面食らう。慣れなれしいと感じるけれど、不快さを感じさせないのは彼の纏う雰囲気のせいだろう。
大らかそうな明るい笑みを浮かべた表情は、豪胆ではあるが同時に優しさも感じさせる。父親、というより"親父"とでも言ったほうがしっくりくるかもしれない。彼はハクオロとはまた違った意味で人を 惹きつける雰囲気を持った男だ。イライラさせられる事もあるだろうが憎めない、惹きつけられずにはいられない要素を持った人間。

「親父さん、お師匠じゃなくてそのお孫さんですよ」

ハクオロが苦笑を浮かべながら訂正するが、"親父"と呼ばれた男は「細かい事気にすんなよ」と笑うばかりで情報を修正する気は全く無いようだった。
というより、やはり"親父"と呼ばれているのか、とそちらの方に妙に納得してしまう。

「こーら、あんた好き勝手言ってんじゃないよ! 其の調子で村中に言いまくったらこの子が迷惑する事になるんだからね!」

突然割り込んできた女性の声に驚いて振り向くと、金の髪を軽く上で結わえた20代半ばぐらいの女性が怒り顔でこちらを-テオロを-睨んでいる。
其の後ろでエルルゥが困ったような笑みを浮かべていた。

「か、母ちゃん!」

何処か怯えた様子でテオロが叫んだ。其の間に金色の髪の女性はずんずんとこちらへ近づいてくる。

「全く、このとうへんぼくは。何時までたっても、機微ってもんをわかろうとしないんだから」
「か、母ちゃん何だよ、突然! お、俺はだなぁ、見知らぬ村に一人やってきて大変だろうその子を元気付けてやろうとしてだなぁ・・・・」
「アンタがそんな殊勝なこと考えるわけないだろ。どうせ人の話を半分聞いて適当に口にだしたんだろ。ああ、アンタご免ね家の宿六が失礼な事言って」

急に話を降られてきょとん、とした表情を浮かべたアマネに何時の間にか傍にやってきていたエルルゥが苦笑を浮かべながら「何時もああなんですよ」と呟いた。
「ソポク姉さん、ちょっと口は悪いように聞こえるけど厳しいのはテオロさん限定なので安心して下さいね」、と続けられればアマネとしては「そうなの?」と返すしかない。
其の間にソポクとテオロの間では「ああでもない」「こうでもない」と勝手に会話が進んでいる。けれどよくよく見れば、ソポクの口調は厳しいものの、そこにテオロに対する悪意は全く感じられず、寧ろ言葉を口に出す事を楽しんでいるようにさえ見れる。テオロもテオロで、困ったような顔を浮かべながらも彼女との会話を結局は楽しんでいる様子だった。

「・・・・・・何となく、解りました」
「でしょう」

クスクス、とエルルゥが隣で笑う声が聞こえてきた。ハクオロもアルルゥも二人の喧嘩(?)を笑みを浮かべながら見つめていた。
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2-4

「ア、アルルゥっ!」

突然身体に感じた衝撃。
衝撃という程大きくは無かったけれど、何か小さなものが突然体当たりするかのごとく飛び込んできた。次いで感じたのは、何か温かく柔らかいものが身体に覆いかぶさるようにくっついている感触。
驚いて"それ"を見れば、ぴょこぴょこと動く大きな耳と自分をじっと見つめてくる、やはり大きな瞳。

「アルルゥ、何をしてるの! 失礼でしょう、すぐに離れなさい!」

エルルゥが慌てた声を上げるが、アマネにしがみつく小さな身体は一向に離れる気配はない。

「アルルゥっ!」
「やっ!」

とうとうエルルゥが怒り声を上げるが、アルルゥは「や~」、と言うばかりでその声に従おうとはしなかった。しかも益々、しがみつく力は強くなっていく。

「・・・・・どうやら、アルルゥはアマネに出て行って欲しく無い様じゃな」

驚いた様子でトゥスクルが呟いた。

「あの、アルルゥ・・・・?、離して貰いたいんだけれど」
「やっ!」

フルフルと首を振った少女はますますアマネにしがみつく力を強める。
どうすれば良いのだろうか、とトゥスクルに視線をやれば、困った様なけれど何処か面白がっている表情を浮かべている彼女と視線が合った。

「アルルゥ、とにかく離れなさい。そんなに強く掴んでは、アマネも苦しいじゃろうて」
「・・・・・・・・・・」
「大丈夫、アマネは出て行かんて。そうじゃろう」

その言葉に、今度はアマネが驚愕の表情を浮かべる番だった。

「トゥスクル様?」
「どうせ急ぐわけでも無いのじゃろうて。なら、暫くはここに留まっても問題無いじゃろう」

何を勝手な事を、と口に出しかけるがそれを言う前に、アルルゥがアマネの着ている服の裾をきゅっ、と引っ張った。

「・・・・お姉ちゃん、行かない?」
「え?」

大きなとび色の瞳が、まるで縋る様にアマネを見つめてくる。
それはアマネの中に、既に遠い過去となった思いを呼び起した。同じ様に、自分を見つめて、行かないでと縋る瞳を向けてきた存在を。

「・・・・・・・・・」
「行かない?」

"あの子"と同じ瞳。しかも"父"と同じ血を引く子供から、再びそんな目で見られる何て思ってもみなかったアマネには、ただ言葉を失いアルルゥを見つめ返すことしかできない。

「あ・・・・・・・」

何かを言おうとすればするほど、言葉は出てこず、喉をふるわせるだけだった。縋りついてくる瞳から目をそらしたいのに、そらせない。話す事も、拒絶する事も出来ないまま、ただその視線を受け止めるしか出来ないアマネの耳に、聞き馴染んだ声が聞こえてきた。

「良ければ、そうして貰えないか?」

「え?」、と顔を上げれば何時の間に入ってきたのか、ハクオロが苦笑を浮かべながら自分を見つめていた。

「急ぐ用事が無いのであれば、しばらくはいて貰えないだろうか。アルルゥも喜ぶしな」

「尤も、居候の私が言える事ではないのだがね」、と苦笑交じりに呟かれた言葉にアルルゥがぴょこぴょこと、更に激しく尻尾を振った。

「ん~、一緒。おと~さんも言ってる」

ぴょこぴょこと尻尾を振りながら、「一緒、みんな一緒」とアルルゥは呟いた。

「お父さん?」

その言葉に驚いて、アルルゥとハクオロを交互に見れば、ハクオロは少し困った様に頷き、アルルゥはにっこりと満面の笑みを浮かべながら「うん、アルルゥのお父さん♪」と答えた。
すとん、とその言葉がアマネの中にしみこんでいく。

父は、彼は記憶が無くとも自分の娘を見つけたのだ。
彼がずっと望んでいた存在を。
けれど、なら尚更自分が居るわけにはいかないのではないか、そう考えてアルルゥを離そうとすれば、その手をそっとトゥスクルが止めた。

「トゥスクル・・・・・様?」
「居てやって下さいませんか。そしてこの子達に、嘗て私が貴女から教わった事を教えてあげて下さい」

そっと呟かれた声はアマネの耳にしか届かない。

「それに、離れて見守るよりも近くに居た方が色々とやりやすいでしょう」

そう続けられれば、アマネにそれ以上返す言葉は無かった。
「解りました、しばらくお世話になります」、と続ければ「ん~♪」と、嬉しげにアルルゥがアマネに頭を摺り寄せてくる。
手触りの良い髪をすいてやりながら、「ずいぶん人懐っこい子なのですね」、と呟けば、何故か3人供困った様な笑みを浮かべたのだった。


【あとがき】
アルルゥにとって、エルルゥは母親代わりだけれど完全な母親にはなれてないんだと思います。
彼女は姉で、ライバルで何時までも自分と一緒にいられる存在ではない、という事を無意識にわかってるんじゃないかと。
アマネに懐くのは、やはり動物的直観とでも言いますか・・・ご都合主義と言いますか。まぁ、ハクオロを挟んだ時点で、エルルゥとはライバル関係になってしまっていますから、母親代わりとしてアマネになついたとでも思ってください。

3-1

「貴女様が気に病む事ではありません・・・」

ただ黙って頭を足れるアマネに、ぽつり、と呟くような声でトゥスクルが答えた。
トゥスクルは契約の場には居なかった、ただ瀕死の状態のハクオロが彼女の家に運ばれてきて、その治療を行っただけ。

だからエルルゥが何を願って彼と契約を結んだのかは解らない。けれど、想像をつけるのは容易かった。アルルゥの洋服に、土と一緒に血が付いていた事に気づければ----。

「・・・・もし、あの場にあの方がいらっしゃらなければ、私はアルルゥを失っていたでしょう」

エルルゥが彼と契約を交わした事は悲しく思う。できれば孫達には、この村で穏やかに一生を送ってもらいたかった。けれど"彼ら"が目覚め、そして契約を交わした彼女はこれから起こるだろう騒乱に嫌がおうにも巻き込まれる事になる。
それでも-----。

「あの子が望んだ事です。なら、受け入れていける、進んでいけると信じています・・・・」
「トゥスクル・・・・・」

身内が騒乱に巻き込まれる事を望む者などいない。この穏やかな生活を壊される事に憤りを感じずにはいられない。けれど、冷たい亡骸を抱く事になるよりはずっと良かった筈だ。
少なくとも、アルルゥは契約がある限り死ぬ事はないし、エルルゥも契約者ゆえに彼に守られる事になる。

ヤマユラの里は、辺境に位置する故に戦乱と離れていられるが、全く無関係ではないのだ。それに戦火に巻き込まれずとも、理不尽な事はいつだって起こりうる。彼がそばに居れば、それからは逃れられる。少なくとも、死の危険からは逃れられるのだ。

自分が残される痛みを負う事も無くなる――――――――。

「・・・わかりました、もう言いません」

彼女がそれを受け入れているのなら、自分がもう何を言っても彼女は考えを変えないだろう。
そうして、こういう頑固なところは変わっていない、と思う。彼女は一度決めた事を覆そうとはしなかった、どれほど難しくとも諦めず、進んでいった。きっとその資質は彼女の孫達にも受け継がれているはず。
なら、あとは彼女たちに任せるべきだろう。

「どうか、父を、いえあの方をお願いします――――」

そう言って再びアマネは頭を足れた。


***


その後は、2人とも契約の事もハクオロの事も一言も話さずに、ただ今の事だけを話した。
トゥスクルの事、エルルゥの事、そしてハクオロがヤマユラの里に来た後の事。気づけば、まだ薄暗さの残っていた空は白み、太陽が輝く時刻に変わっていた。
けれどその事に気づいたのは、扉代りに掛けられている布越しにエルルゥの声が聞こえてきた時だった。

「おばあちゃん、えっと・・・・アマネさん。朝ごはん、出来たんですけれどどうしますか?」
「おや、もうそんな時間なのかい?」

「入って良い?」、という声と共に布が捲られエルルゥが室内に入ってくる。そうして2人の傍に膝をつくと、アマネに向かって「初めまして」、と頭を下げた。

「えっと、エルルゥと言います。よろしくお願いします」
「こちらこそ、ごめんなさい、きちんと挨拶もせずに」

その礼儀正しい態度に、アマネはは直ぐ彼女に好感を抱いた。「何も無い処ですけれど、ゆっくりしていって下さいね」、と少し頬を染めながら、ほほ笑む彼女から、それがおべっかでも何でもなく心からそう思っている事が感じられる。
その優しい笑みから、アマネは彼女なら父、いやハクオロに良い影響を与えられるかもしれないと感じた。

記憶が無く、まっさらな状態。
過去の辛い記憶や悲しい別れの記憶が無い状態であるならば、もしかしたら彼が望んだ生が過ごせるかもしれない。
不安ではあるだろうけれど、それは彼女がきっと癒してくれるはず。

何よりも、ここには彼の娘が居る。
正真正銘、彼とミコトの血を受け継いだ娘が。
なら――――――自分は不要だろう。

「・・・ありがとうございます。けれど、私はもう行かないと」

そう告げた瞬間、どんっ、と身体に軽い衝撃が走った。


【あとがき】
トゥスクルさんって、どんな少女時代を送ってたんでしょうか…。

2-1

-おそらくトゥスクルの部屋-に通され、2人きりになって漸くアマネは息を吐き出した。
父と会い、彼の記憶が失われている事を知り、そしてミコトの、ミコトと父の血を引く娘に出会った事。それは思う程強くアマネの心の中にずっと存在していた傷を強く抉っていた。
そんな彼女の心境を読んだのか、傍らでトゥスクルが心配げな眼差しを自分に向けていた。

懐かしさが途端、アマネの中に広がった。顔立ちは変わっても、その瞳の色や眼差しの優しさは記憶の中にあるものと変わらない。何十年も共に居なかった筈なのに、彼女と共に在った日常がまるで昨日の事の様に鮮やかに頭の中に浮かんでくる。

「・・・・・・久し、ぶりですね」

そうアマネが口にすると、トゥスクルはすっかり皺の刻まれた顔に深い笑みを浮かべた。

「お久しぶりでございます、アマネ様・・・・」

嘗て、薬師の師と弟子として。そして共に闘う戦友として2人は共に在った。
既にトゥスクルは師が必要な程子供ではないし、アマネも彼女の師である事はとうの昔に放棄している。それでも、今ここにいる瞬間の2人は嘗ての師と弟子であり、戦友であり仲間だった頃の2人だった。

「・・・・顔をあげて下さい、私の方こそお礼を言わなくては。あの方を、父を助けてくれたのでしょう。ひどい怪我を負っていたと聞きました」
「はい・・・、孫が、エルルゥがあの方を連れてきたのです。驚きました・・・・、まさか再びお会いできるとは思ってもいませんでしたから」

「それに、まさか記憶喪失になっているとは・・・」、と苦笑をしながら呟かれた声にアマネも困った様な笑みを浮かべる。

「エルルゥ・・・、貴女のお孫さん?」

聞かなくとも既に答えは解っていたけれど、そう問いかけたアマネにトゥスクルは深く顔を上下させた。

「そう・・・、やっぱり良く似ていますから」

ミコトに、そして嘗ての貴女に、と呟かれた声にトゥスクルは皺の寄った顔に深い笑みを浮かべる。
穏やかに微笑む表情は、嘗ての彼女には見られなかった顔だった。それでも笑顔はまだ嘗ての面影を呼び起させる。
けれど湧き上がってきたのは、懐かしさばかりでなく、それよりも悔恨の感情の方が深かった。自分達に再び関わらせてしまった、という深い悔恨の念。

「私は・・・・貴女に謝らなければならないのでしょうね」

「何を?」、とトゥスクルが怪訝そうな表情を浮かべる。だが気づいていない筈がない。何故なら彼女は知っているのだから、彼が、父がどういう存在なのかを。彼女は"契約者"ではなかったけれど、契約をした人間が嘗て彼女のすぐ傍に居たのだから。

「エルルゥ、の事でしょうか・・・・?」

やっぱり気づいていたのか、と思いながらアマネは頷いた。
父がここに存在するのであれば、必ず誰かと契約は行っているだろうと思っていた。
眠りについていた父を呼び起こすには、強い思い、願いと呼ばれる力が必要だから。

そしてトゥスクルには契約者としての気配も、強く願いを抱く様な気配も感じられ無い。
対してあのエルルゥという少女からは、父の気配が強く漂っていた。そして何故かアルルゥと呼ばれた少女からも父の力が強く感じられた。
恐らくエルルゥがアルルゥの事で何かを願ったのだ、そして父がそれに応えた。彼女と契約する事で。


【あとがき】
分身がディーによって起こされて、それに付随する形で空蝉も起きたんだと思われます。
で、エルルゥの願いに引かれてやってきた、という感じですかね。

2.夜半事変

「おばあちゃんっ!」

まだ朝も明けきらぬ中、少女の甲高い声が響いた。
息を弾ませながら、走り寄ってくる少女はハクオロと共にあるトゥスクルの姿を見て安堵の息をもらす。

「良かった・・・、もうどうして黙って行っちゃったの? 心配したんだから・・・・」

そう募ってくる少女にトゥスクルは「すまないね・・・」、となだめる様な声を出した。

「具合の悪い子がいてね、どうしても急いで出かけなければならなかったんだよ」
「そうだったの・・・・、でも、もう黙っては行かないで。心配したんだから・・・」

少女の心配と不安な感情の交じった声にトゥスクルも「ああ、次は必ずそうするからね」と穏やかに言った。その時、家の中から「おばあちゃん・・・?」、と幼い声が聞こえてきた。見れば、まだ10、11歳くらいの少女が目を擦りながらこちらに近づいてくる。

「おお、アルルゥまで。すまんのう、起こしてしまったかい?」
「ん~~、一緒に寝る・・・」

腕に抱いた枕を「ん」、と祖母の前に出せば「そうかい、そうかい」とトゥスクルは優しい笑みを浮かべながら彼女の頭を撫でた。「んふ~♪」、と嬉しげに目を細める少女に「先に行っておいで」と声をかけると、トゥスクルはもう一人の少女-エルルゥ-の方を振り向き、「お客さんが一緒なんだよ」、と声をかけた。

「あ・・・・」、とエルルゥが少し驚いた様な声を出す。
どうやら自分の感情で一杯でアマネの事にまで気が回らなかった様だ。慌てて「済みません」、と頭を下げる少女にアマネも「よろしくお願いします」と頭を下げる。

「わしの古い知り合いに連なる方でね、わざわざ訪ねてくれたんじゃ」
「おばあちゃんの・・・・?」
「ああ。すまないが、エルルゥわしはこれからアマネと話があってね・・・・。アルルゥの事を頼めるかい?」
「あ、はい」

エルルゥが頷くのを確認すると、トゥスクルはアマネへ「こっちじゃよ」、と言って家の中へ入っていく。
アマネが良いのだろうか、とエルルゥへ視線を向ければ「どうぞ、狭いところですが」、と柔らかい笑みが返ってきた。

「・・・・・・ミコト?」
「え?」

その笑みに、嘗て彼と共にあった少女の顔が重なり合う。知らず漏れた呟き声にエルルゥが怪訝そうな声を出したが、「なんでもありません・・・・」とアマネは曖昧な返事を返しトゥスクルの後を追って歩き出した。

【あとがき】
一話一話の長さがまちまちですね・・・。書きたい処は長くなるのに、早く済む処はものすごく短い。

1-6

「もう入っても大丈夫ですよ」

パサリ、と布を掻き揚げて部屋の外へ出た途端、オボロがアマネの身体を押しのけるように部屋の中へ入っていった。
治療の邪魔だとトゥスクルに追い出され、それでも妹の身が気がかりで一時も気を休める事が出来なかったのだ。漸く出た許しに幸いとばかりに飛びついた彼は、寝台に横たわる妹を見て一瞬表情をゆがめたものの、その口から漏れる息が穏やかな物である事に気付きほっと息を吐き出した。

「トゥスクル様・・・・妹は、ユズハは・・・・?」
「大丈夫じゃよ。少し興奮してしまっただけじゃ、発作が起こった訳ではない」

其の言葉にオボロはもう一度、ほっと安堵の息を吐き出す。
だが後ろから聞こえてきた衣擦れの音に、再び纏う雰囲気を硬質化させた。

「お前ら・・・・・」

だが、今にもハクオロとアマネの二人に飛び掛りそうだったオボロを止めたのは、この時も妹の声だった。

「お兄様・・・・」

か細いけれど、しっかりとした口調で呟かれた言葉にオボロは怒りを忘れて飛びついた。

「ユズハっ! 大丈夫か、何処か苦しい所は無いのか?」

あれやこれやとまくし立てる兄の言葉にユズハは「大丈夫です」と弱いながらも微笑みながら頷いた。
其れを見てオボロは「ほっと」息を吐き出す。

「アマネ様がお薬を飲ませてくれましたから」

妹の穏やかな言葉が其の名を呼んだ時、オボロの中に再度先ほどと同じ強い感情が生まれる。
けれど妹の前だからと、先ほどのように行き成り飛び掛らないくらいの冷静さは残っていた。

「・・・・・・そうか、妹が世話になったな」

幾分か感情を抑えた声がそう告げる。けれどアマネにもハクオロにも、それが彼の本心からの言葉ではない事は解っていた。

「いえ、出切る事をしただけですから」

けれど余計な事を言って、再度彼の機嫌を下降させることも無いだろうと当たり障りの無い言葉を返した。
それが合図だったかのように、トゥスクルが「そろそろ戻らんとな」と口に出す。
「よっこらしょ」、と声を上げて椅子を立つ彼女をアマネが支えた。だがそれに異を唱えるようにオボロから声が上がった。

「トゥスクル様、もうお帰りになられるのですか?」
「ああ、ユズハも落ち着いたしね。ここでもうわし等が出切る事は無かろうて」
「しかし・・・・」

何か言いたげな表情をオボロは浮かべる。けれどトゥスクルの瞳に剣呑な色が宿ったのを見て、慌てて言葉を引っ込めた。
彼にとって気に食わないのは、ハクオロとアマネだけでありトゥスクルはその数には入っていない。むしろ発作ではないとはいえ、体調を崩したユズハを診る為に彼女にはもっといてもらいたいのだろう。

「随分と遅くなってしまったからね、家に残してきた子達も心配しているじゃろう。悪いがここらで失礼するよ」
「・・・・・・解りました」

しぶしぶながらもオボロは了承の言葉を口に出した。
それに一つ頷くと、トゥスクルはユズハへ「また来るからの」と告げ部屋を出て行こうとした。
ハクオロとアマネがそれに続こうとした時、「あの・・・」とユズハのか細い声が2人を呼び止めた。

「あの・・・・・、ハクオロ様、アマネ様も・・・・・・・またお会い出来ますか?」

それは問いかけと言うよりも、また来て貰いたいという願望だったようにも聞こえた。

「ああ、また来させてもらうよ」
「私もです」

2人からそう言葉が出ると、ユズハは心底嬉しそうに、笑みを浮かべた。



「・・・・もう来るなよ、お前ら」

砦の入口まで戻り、馬へ跨ろうとしていた際、オボロからユズハとは正反対の見送りの言葉を受けた。
全く似ない兄妹だと、呆れながらそれでも彼からこの言葉をかけられる事はすでに3人とも予想済みであった。
トゥスクルが「全くこやつは…」、と小さく呟く声が聞こえてくる。オボロに従う双子の少年達も、彼の後ろで困った様な表情を浮かべていた。

「・・・と言われてもな、ユズハと約束をしてしまったからな」

ハクオロが律儀に返事をするが、それが余計にオボロの気に障った様で「うるさいっ、とにかく来るなったら来るな!」、とまるで駄々っ子の様な言葉が返ってくる。
どうやら彼がユズハと交わした、"次に会う約束"がお気に召さなかったらしい。ドリィとグラァがその言葉に、「だって、ねぇ・・・」「うん、そりゃあねぇ・・・」と小さくつぶやく声が聞こえてくる。

オボロの視線の先にあるもの、それはハクオロの指に結ばれたユズハの髪の毛だった。再会できるおまじないです、と微笑みながらそれを結んだ妹は、兄がそれをどんなにほどいてしまいたかったかか等気づくはずもない。未だに憎々しげにそれを睨みつける彼に、トゥスクルが再度「バカ者が・・・」、と呟いた。

「もう良い、ハクオロ、出しておくれ」

呆れを含ませた声でトゥスクルが促すと、ハクオロもそれ以上は何も言おうとはせず馬を走らせ始める。アマネも彼らから借りた馬に跨り、彼らの後を追う。

「二度と来るなーーー!!」

と、叫ぶオボロの声を後ろで聞きながら。

【あとがき】
オボロは追い出されましたが、ハクオロさんは中に居ました。
何故って、そうでないとユズハとハクオロさんが仲良くなってくれなくて話が進まないからです♪
おまじないは後で結構重要な役割を持つ・・・・はず。多分

1-5

「お兄様・・・・・・・?」

彼の中で何よりも優先するべき妹の声、途端アマネを締め付けていた力が抜ける。
それより少々後ではあるがハクオロがオボロの腕を掴みアマネの腕から引き離した。

「大丈夫か?」

駆け寄ってきたトゥスクルが直ぐにアマネの腕を診て、折れていない事にほっと息をつく。
だが白い腕にくっきりと残った紅い痕に痛ましげに目を細めながら「すまなかったのう・・・」と小さく謝罪の言葉を口に出した。
彼女のせいではないであろうに、それでも謝罪の言葉を口に出したのはオボロのためであろう。アマネがオボロに対して悪感情を持たないように、とまるで祖母がやんちゃな孫を心配するような。

「気にしていません、大丈夫」

アマネの答えにトゥスクルは再びほっと、息を吐き出した。
其の様子を眺めながら、アマネは変わったものだ、と感心しつつも少しだけ寂しい思いを感じていた。今のトゥスクルは、昔彼女と知り合いであったトゥスクルであるけれど、全く同じ彼女ではない。
長い年月を重ね、精神的にも肉体的にも成熟を遂げた彼女はアマネが知っていた、大人びていたけれどまだまだ幼い部分の多かった少女の面影は何処にも無かった。

「お兄様、どうして・・・・?」

けれど少女の非難めいた声がアマネの意識を"過去"から"現在"へと戻す。

「ユ、ユズハ・・・・・」

見ればオボロがハクオロに腕を捕まれたまま-というより両方とも呆気にとられ、固まっているのだろうが-ユズハに詰め寄られている光景が目に入ってきた。

「どうして、お兄様は怒っているのですか・・・・」
「あ、いや・・・。俺は怒ってなど・・・・」
「・・・・・・嘘です。今のお兄様からはとても怖い感じがします」

怒っているというより悲しんでいるような声だった。ユズハの目ではオボロがアマネに何をしたのか見る事は出来ない。けれど聞こえてきた音から"知る事"は出来る。
アマネの手が自分から離れた瞬間聞こえてきた悲鳴と何時もの兄のものとは違う声。何時もは優しい兄だが、珠にユズハを諌める事もある。けれどあの時の声はそんなレベルのものではなかった。
決して彼女の前では見せない、オボロのもう一つの面。

「ユ、ユズハとにかく落ち着け・・・・・」

彼女の身体は其の心と同じぐらい繊細で、壊れやすい。ほんの少しの感情の揺らぎが影響してしまうほど。
何とか妹を落ち着かせようとするが、そんな兄の言葉に妹は益々悲しげな表情を浮かべる。

「お兄様は・・・・・どうして・・・・・」

けれど最後まで言い終わらない内に熱いものがユズハの胸の内からこみ上げてきて、彼女の声を封じた。
ゴホゴホと激しく咳き込むものの、熱いものは後から後からこみ上げてきて一向に収まってくれない。「ユズハっ!!」と叫ぶ兄の声が聞こえたけれど、それに応える事も出来なかった。口に当てた手が乾いた息と音を幾分かは抑えてくれるけれど、込み上げてくるものを全て押し殺す事はできなかった。

止まって欲しいと願うのに、身体は持ち主であるユズハの言う事をちっとも聞いてくれない。
早く、早く止めないとまた兄に心配をかけてしまう。また何時もの兄ではない兄の声を聞かなければならなくなってしまう。
また、迷惑をかけてしまう。
また・・・・・・

「落ち着いて、大丈夫だから」

ふわりと肩にまわされた、暖かい腕。ほのかに香ってくるのは薬草の香り、嗅ぎ慣れたトゥスクルのものとは少し違う、土の匂いの混じったもっと暖かい香りだった。
ぬくもりが嬉しくて彼女の名前を呼ぼうとするが、口から漏れ出るのは咳の音だけで声と呼べるものでさえなかった。

「大丈夫、大丈夫よ」

それでも何かは彼女に伝わったのかもしれない。肩にまわされた腕が優しく背中をさすってくれる。「ユズハ!」、と傍らから兄の声が聞こえてきた。切羽詰った、悲しげな声。
そんな風に呼んで欲しくないのに、悲しんでもらいたくないのに。なのに今のユズハにはそれを口に出す事が出来ない。

「大丈夫、これを飲んで」

つん、とした薬草の匂いが鼻の近くで感じられた。唇に物が触れる感触、 唇の隙間から冷たい物が本の僅か流れ込んできて、喉の中に落ちた。
冷たい本の僅かな雫、けれどそれが喉の奥から込み上げてくる熱さを静めてくれるような気がして、ユズハは夢中でそれを飲み下す。焦った為に、幾つかは本来入る場所ではない所へ向かってしまい、余計に咳がでてしまったけれど其のたびに優しい声と手が「大丈夫だ」と背中をさすってくれた。
喉に落ちた冷たい雫は其処からユズハの身体の中に巡り、徐々に熱く火照った身体を冷ましていく。
何時しか部屋の中は、最初にここを訪れたときの様な静けさに包まれていた。

【あとがき】
飲ませたのは紫琥珀ではありません。多分。


[ ユリウス→←アリス ]


森の中に1人、私はいた。
ざわざわと風が木々を揺らす。
空を覆う枝葉の間から光が薄らと差し込んではくるものの、周囲はけっして明るいとは言えない。


・・・・・自分は何故こんな所に居るのだろう?


ざわざわと音を立てて揺れる木々の下にアリスは立っていた。
右を見ても左を見ても、あるのは木々の姿だけで建物らしい姿はなく。
かと言って自分が通ってきたかもしれない道の姿も見当たらなかった。

何故こんな所に居るのか、しかもどうやってここに来たのかも解らない。
戻ろうと思うけれど道が見当たらないので、それも叶わない。

けれどそこでふと気付く。

戻る―――――――?

私は、何処へ戻ろうとしていたんだっけ?

真っ先に頭に浮かんだのは家の事だった。
大好きな姉のいる、懐かしい我が家。
良い思い出があるとも、決して居心地が良いとはいえなかった場所なのに。けれど迷子になった時、真っ先に頭に浮かぶのはやはり住み慣れた我が家だった。
けれど直ぐに、それは違うと考え直す。
家には帰りたい。でも帰れない?

帰る事が怖い?

何故こんな事を感じるのだろう。
ざわざわと木々が風で大きく揺れた。
森の中に居るのだから、そんな音が聞こえて当たり前な筈なのに何故だかビクリと体がすくんでしまう。

怖い、怖い、怖い――――――――。
何故こんなに怖く感じるのか?
ここに居るのが怖いのか? それとも家に帰ると思った事が怖いのか?
もしかしたらその両方なのかもしれないけれど、でも今のアリスにはそんな事を判別できる余裕は無く。
後ろも前も、右も左の道も無いただ木々の群れが有るだけの森の中で、ぽつんと1人で佇んでいた。


***


「・・・・・アリス?」

不意に頬に冷たいものが触れた。
頬を滑る固くて冷たい感触は、一般的には決して気持ちが良いとは言えないものだろうけれど、今の自分にとっては酷く安心感を齎してくれるものだった。

「・・・・・・ユリウス?」

視線を上げると直ぐ隣で自分を心配げに見つめる青年の姿あった。
冷たくて固いそれは彼の指だと気付いた瞬間、アリスはもう一度安堵の息を吐き出す。

「・・・嫌な夢でも見たのか?」

嫌な夢?
そうなのだろうか、内容など良く覚えていない。
ただ楽しい内容ではなかったと言う事だけ漠然と感じた。

「そう、なのかな・・・。よく覚えていないわ・・・・・」

そう言うと、ユリウスは呆れたようなため息を一つ吐き出す。

「よく解らない夢で泣いたのか、お前は」

呆れた声を出しながらユリウスは指をするり、と滑らせるるように彼女の頬から離した。
冷たい感触と水の濡れた感触が頬に残り、その時初めてアリスは自分が泣いていた事を悟った。

「・・・・うそ、私泣いてたの?」
「しかもかなり魘されていたな。お陰で私は眠るどころじゃなかった」

その言葉に驚くものの、アリスとしても自分が何故泣いているのかなど全く解らなかった。
なのに理性とは逆に彼女の瞳からは次々に涙が溢れてくる。止めようと指で何度も拭ったけれど、それでも後から後からあふれ出す涙は一行に止まろうとしなかった。

「・・・もうよせ、目が腫れてしまうぞ」

再びユリウスが呆れたように言う。
けれどその中にはアリスに対する気遣いの感情が混じっていた。

「だって、止まらないんだもの・・・・。可笑しいわよ、こんなの・・・」
「止まらないものは仕方ないだろう。・・・・・大体無理に止めようとすることは無いんじゃないか。涙が出ると言う事は、泣きたいことがあるということだろう。一度出し切ってしまった方がすっきりもするんじゃないか?」
「そんな曖昧な・・・・」
「訳の解らない泣き方をしているんだ、曖昧くらいで丁度良いだろう」

そうしてまた彼の指がアリスの頬を撫でる。
けれど常なら乾いている指先が今は僅かに湿っていて。それが自分の涙のせいだとアリスが気付くのは容易かった。

「・・・・本当に何で泣いているのか解らないの・・・」
「そうか」
「でも、泣きたいわけじゃないのよ。でも、何だか不安で怖くて・・・。涙が止まらないの・・・」
「だったら泣けば良い。お前の気が済むまでな」
「だから泣きたいわけじゃ・・・・」

それ以上の言葉は放つ事が出来なかった。
彼の指がアリスの頬から離れた次の瞬間、ユリウスの腕が彼女の頭をすっぽりと抱え込んだから。

「ユ、ユリウスっ!!」
「こうしていれば泣き顔は見れないだろう」
「!!」
「泣きたければ泣け、泣き顔を見られるのが嫌だというのなら見えないようにしていてやるから」
「・・・・・・・・・・・何か、その言い方私が泣きたがっているように聞こえてむかつくんだけど」
「実際泣いている奴が何を言う? ほら、大人しくしていろ。まだ夜は続くんだ、それに私は疲れていて眠い」

気遣ってくれているのに素直ではないユリウスに、アリスは泣きながらもくすり、と小さく笑みを漏らした。

「・・・・そうね、私も眠いわ。何故か泣いてるけど」
「そうだ、私も眠い。一緒のベットに寝ているのだから、腕が当ることもあるだろう。そう考えでもして諦めて寝ることだな」
「・・・・・・・そうね、そうよね。そういう事もあるもんね」

ふわり、とアリスの頭を抱くユリウスの腕にアリスが自分の腕を重ね合わせる。
何故なのかは知らないが、泣いているのは事実なのだから、今はそれを受け入れよう。
自分の意思ではないのだ、少しぐらい泣き顔を見られた所でどうってことはない・・・・筈だ。

未だに涙の溢れる瞳を瞑る。
至近距離にあるユリウスの胸から聞こえてくるのは、自分のものとは違う音。
チッチッチッ、という時計が針を進める音だ。

不思議だ。
初めは怖いと思っていた時計が今は自分をこんなにも安らかな気持ちにしてくれるなんて。
アリスの世界では時計が体の中に入っているなんて人は居ない。自分の中にあるのは心臓で、奏でる音も異なっている。
昔母親に抱かれた時に聞いた音、姉に抱きしめられて聞いた音とそのどちらも自分に安心感を抱かせてくれたけれど。

「・・・・・・・・不思議ね。ユリウスの音はそれ以上に安心するわ」
「?」

顔を覆われているので彼の表情はわからない。けれどきっと疑問を浮かべた表情をしているのだろう。
解りにくいようで解りやすい、それがユリウス・モンレーという男なのだ。
そして、不器用だけども優しい。

「・・・・・・・・ありがとう、ユリウス」

小さく呟いた声は果たして彼に聞こえたか、聞こえなかったのか。
ぴくりとも動かない腕と返事も戻ってこないことに恐らく聞こえなかったのだろう、とアリスはそのまま暗くなっていく意識に身を任せる。
きっと悪夢はもう見ないだろうと確信しながら。



「・・・・・・・居るのだろう、ナイトメア」

腕の中の少女が安らかな寝息を立て始めた頃、ユリウスは自分達以外には誰も居ない部屋の中に呼びかけた。
ゆらり、と部屋の隅から黒い影が立ち上りそれは段々と人の形となる。

「・・・・・・・・・何時出て行こうかと困ってしまったよ。それにしても時計屋にそんな優しい言葉をかけさせるなんて、やっぱり彼女は偉大だね」
「くだらない事を。大体お前のせいだろう」

アリスを起こさないように僅かな動きで身を起こす。
光源が落とされた部屋の中、視線の先に立っているのは銀色の髪を持ち右目を眼帯で隠した青年だった。

「確かにね。でももう術はかけ直しておいた。目が覚めたら彼女はすっかり今の事は忘れてるよ」
「かけるのだったらしっかりやったらどうだ。大体お前の術は何処か何時も抜けているんだ、フォローするこちらの身にもなれ」
「仕方ないだろう。私は忘れさせているだけで、無くしているわけではない。それにこのお嬢さんは元々こういった類の術はかかりにくいタイプでね、ちょっとしたきっかけで綻びが出てしまう」
「きっかけ・・・・・? 夢は貴様の領域だろうが、一体何が・・・・・・」

其処まで言いかけて、ユリウスははた、と気が付いた。
目の前の人物の厄介な性格を。

「お前・・・、まさかまた・・・・」

そのユリウスの言葉を肯定するようにナイトメアはポリポリと頭をかく。
余りの事にユリウスはもう怒りさえ通り越して呆れが湧き上がってきた。

「・・・・・お前、だからあれほど病院に行けと・・・」
「いやぁ、私もまさかこんなに具合が悪くなるとは思っていなくてね。でも大丈夫、もう何時もの状態には戻ったから」
「何時もの状態って、まだ悪いままじゃないか。いい加減に注射が怖いなんて子供みたいな事を言っていないで、注射でも点滴でもしてもらってさっさとその厄介な身体を治せ!」
「嫌だね、私は注射も点滴も病院も嫌いだ! 注射をしない医者がいるなら行っても良い」
「・・・・・・・んな医者がいるかっ! 治療に不可欠な事ならしてもらうのが当然だろう。大体そのせいでアリスの記憶が戻っていたらどうするつもりだったんだ!」
「どうしようもないよ。彼女は全てを思い出して、そして元の世界へ戻る。それだけだ」
「っ!!」

あっさりと言い切ったナイトメアにユリウスは言葉を無くす。

「戻って、この世界の事を忘れて彼女の世界で暮らしていくだろうね」
「随分あっさりと言うんだな・・・。お前は彼女の事を気に入ってたのではないのか?」
「幾ら記憶を封じたって、戻る時には戻ってしまう。この世界のものなんてそんなあやふやなものばかりだからね。まぁ今回は君がきちんとフォローしてくれたみたいだけど。出て行ってもらいたかったんじゃないのかい?」

意地悪な質問だった。
今のユリウスの気持ちを知っていての言葉。
たちの悪い問いかけに、ユリウスの表情が歪む。

「今回だけだ・・・。私には人の記憶をいじるなんて性質の悪い趣味は無い」
「だろうね。それにしても、随分あっさりとかかったものだね。何時もはもう少し抵抗されるんだけど・・・・。だから不意打ちをかけて無防備になった所を何時も狙っているんだ」
「不意打ちって・・・お前一体何時も何をしているんだ!」
「ん~~、そりゃあ抱きついたりとか?」
「ナイトメアっ!!」
「おっと大声出すと彼女がおきてしまうよ。仕方ないだろう、言ったことだけど彼女は術がかかりにくい性質をしているんだ。意志が強くて責任感が強い、ちょっとやそっとの事では弱音を吐かない。こういった人間は厄介なんだよ。自分の中に何でも押し込めて昇華させる事をしない。だから溜まった感情は常に噴出す瞬間を待っている」

ナイトメアの言葉にユリウスが表情を更に歪ませたが彼の言葉は止まらなかった。

「私がしているのは只の記憶の封印だ。そういった感情まで消す事は出来ない。記憶という鍵が無い以上扉が閉まっているだけであって、それを叩く者までいなくなったわけではないんだよ、ユリウス」
「ご大層な言い方はよせ・・・。大体彼女がそれを望むのなら・・・」
「でも、彼女はここに居た方が幸せになれる。元の世界より、このハートの国に居た方がずっとね。だから私もこの弱い身体に鞭打って頑張っているんだよ」
「・・・・・・・頑張るんだったら徹底的にそれこそ死ぬほど頑張れ。安心しろ、時計が壊れても私がちゃんと修理してやる」
「おや酷い事を・・・・。まぁ今回は確かに迷惑をかけたからね、耳に痛い言葉だが受け入れておこう。では、私はそろそろいくよ・・・。これでも役目を持つ身だからね」

そういうとナイトメアは来た時と同様、ぼやけたもやの様な姿になり闇の中へと消えていった。
後に残ったのは部屋に満ちる時計の音と、規則正しく聞こえるアリスの寝息だけだった。

「全く・・・何時も何時も勝手な事を・・・」

だがこの世界の住人で身勝手でない者など居るだろうか。
勿論自分も入れて、だが。
ほうっ、と一つため息をつくと僅かに動いた腕が直ぐ隣で眠るアリスに触れた。
さらさらとした感触は彼女の髪だろうか。僅かに乱れたそれを優しい仕草でそっと掃ってやると、安らかな表情で眠るアリスの顔が薄暗い光量の中浮かび上がる。

悪夢-こう表現しても良いだろう-は見ていない様子にユリウスは知らず安堵の息をはいた。
隣で眠るこの少女がこれほど自分の身の内を占める存在になるとは、誰が想像しただろう。
いや、そもそも自分が他人を気遣うようになるなど思ってもいなかった。

そっと身体を彼女の隣に横たえる。
安らかな寝顔、けれどそこに残る涙の痕をユリウスの指が触れた。
彼女が抱えるものが何なのか、それは自分には解らない。けれど自分以上に他人に無関心無反応な白兎が気遣い、ナイトメアが力を使ってまで封じているそれが決して軽いものではないと言う事だけは容易く想像がついた。

そして、彼女がそれがどんなに重いものであっても逃げようとしないだろうと言う事も容易く想像がつく。
周囲がどんなに逃げて欲しいと望んでも、彼女は自分の思いを貫いてしまう。そういう頑固な性格の持ち主なのだ。
厄介だな、と感じるもののそれもまた彼女の一部なのだから仕方がないとも感じる。

だがその仕方なさのせいで彼女が元の世界に戻る事になったとき、果たして自分は今と同じように仕方ないと考えられるのだろうか?
既に隣に居る事が当たり前のようになってしまった少女。
自分に感情を教え、暖かさと安らかさを与えてくれる少女を、彼女が決めた事だからと自分は笑って送る事が出来るだろうか。

少し前まで出て行ってもらいたいと思っていたのに、随分と勝手な事だ。
けれどその勝手な事を願ってしまうほど変わってしまった、彼女によって変えられた自分が居るのも事実であって。

「全く・・・・お前のせいだからな。私がこんな事を考えるなんて・・・」

そんな理不尽な台詞を呟いて、ユリウスは目を閉じた。
夜の時間はまだ続く。

瞼が視界を遮ると、見えるのはただの暗い闇のみになる。
右も左も、上も下も無い暗い闇のみが彼の回りに広がった。
それでも彼の隣には暖かいぬくもりがあり、規則正しく聞こえてくる寝息が彼女が其処に居ると言う事を教えてくれる。

1人ではないと気付くのがこんなに自分を満たしてくれるものだと、ずっと知らなかった。
何時かは離す、離さなければならないのかもしれないぬくもりだけれど。
今は自分の傍にあるこれを存分に堪能しようと、ユリウスは隣に眠るぬくもりにそっと腕を回した。


【あとがき】 
微妙にユリウスが優しい?
まぁ泣いている子には勝てないって事で。

どうしようもない片思いで10のお題

どうしようもない片思いで10のお題
[ ユリウス×アリス←他キャラ ] 
8/10 Complite!

1:その他大勢の中のあたし
ペーター・ホワイト

「アリスっ、待っていましたよっ!!」

今日も自分は同じ言葉を繰り返す。
気まぐれに訪れてくれる彼女に向かって。

辛い思いにさいなまれるくらいなら、違う世界で幸せになってもらえれば良いと自分の世界に引き込んだ。
辛い記憶を全て忘れさせて。この世界で、自分と同じ世界で幸せになってもらえば良いと。
そう願って。

ああ、でも何故だろう?
彼女を真っ先に見つけたのは自分なのに?
誰よりも彼女を思っているのは自分なのに?

誰よりも彼女に思ってもらえるのは自分ではない。

「ずっと待っていたんですよ。早くあんな薄暗い陰気な所から出てしまってくださいよ! 貴女の部屋なら何時だって準備が出来ているんですから」
「ずっと、貴女がここにいてくれれば良いのに・・・・」

自分の言葉は彼女に届かない。
なのに自分は今日も彼女に同じ言葉を放つ。

決して聞き入れてはもらえない”愛の言葉”を。

ペーターの愛って解りやすくて、解りにくい。


2:祈りにも似た羨望
ボリス・エレイ

「ねぇ、アリスってさ時計屋の何処が好きなの?」

唐突な質問にアリスは「はぁ?」、と目を見開いた。
いや、彼が唐突なのは何時ものことだ。何時も唐突に現れて、自分の好きだというナゾナゾの答えを求めてくる。
気遣ってくれる事もあるが、方って置かれることも多い。きまぐれな猫そのものの彼が唐突に問いかけてきたのは、何時もとは違った謎かけの言葉。

「何よ、突然?」
「いや、何か気になっちゃってさ。だってあの時計屋さんだぜ」

酷い言われようだ。アリスはムッとしながらも努めて平静な声を出して答えた。

「ええ、私の恋人はあの時計屋さんね」
「それが信じられないんだって。何だってあんたがあいつと・・・」
「それ以上言ったら怒るわよ、ボリス」

と言っても自分の好きな人をけなされて良い気分でいられるはずもなく。ワントーン下がった声音にボリスは慌ててアリスに謝罪の言葉を述べた。

「・・・・・そうね、強いて言うなら『自分の事を大切にしてくるところかしら』」
「はぁ、何だよそれ?」

何度か謝罪の言葉を述べた後、漸く「もう良いわ」と許しの言葉を貰った。慌てた後でも最初の疑問は忘れていなかったのか、再び同じ質問を問いかけてくる彼にアリスは少し考えるとそう答えた。

「だってこの世界の人って、他人のもそうだけど自分の命にも無頓着すぎるのよね。ユリウスくらいなのよ、自分の命を惜しんでいるのって。あの人が引きこもっているのって性格もあるでしょうけれど、無駄に襲われるのが嫌だからでしょ」
「・・・・・・それがあんたがあいつを好きな理由?」
「そうよ、可笑しいかしら?」
「訳解んねえ・・・・」

ナゾナゾよりも更に難解な答えにボリスは頭を抱えた。

「そうかしら、単純明快だと思うけど」
「はぁ、何処がだよ。大体俺も時計屋も代えが効く存在なんだぞ。そんなもの惜しんでどうするんだっての?」
「・・・・・・・つくづくアンタを好きにならなくて良かったって思うわよ・・・」

ため息交じりに呟かれた声に、ボリスの泣きそうな声が覆いかぶさる。
そんなわけの解らない理由で自分は彼女の特別になれなかったのか、と。
きっとその訳が解るのだろう彼に、羨望にも似た思いを抱きながら。

「・・・・・訳解らんねえよ、あんたもあいつも・・・」

再びボリスは呟いた。

ボリス好きになってたら大変だったろうなあ・・・、ってあのイベント見ながら思った。


3:偶然は偶然でしかない
メリー・ゴーランド

ユリウス・モンレーは真面目な男だ。
真面目すぎて面白みが無いほど。

本来遊ぶ場であるはずの遊園地に赴きながら、ゴーランドが幾ら誘っても「仕事があるから」とさっさと帰ってしまう。
あの手この手で誘ってみたのに、彼は一度だって頷いてくれたことは無かった。

「絶叫系が苦手なら苦手だって言ってくれれば良かったのに」
「・・・・・苦手じゃない、別に平気だ」
「そんな真っ青な顔して何言ってんのよ。大丈夫、お水とか貰ってこようか?」
「平気だといって・・・・・・うっぷ・・・・・・」
「あ~、ほら無理しないで。冷たいもの貰ってくるからちょっと待っててよね! 大丈夫だからね!」

ぱたぱたと慌てた様子で水色のドレスを着た少女が近くの店へと走っていく。
その様子を物陰から眺めながら、ゴーランドはベンチに力なく座り込む男-ユリウス-へ視線をむけた。

ぐったりとした様子の彼からは何時もの皮肉気な雰囲気は一切感じられない。
絶叫系が、というより乗り物自体が苦手なのかもしれない。
これでは自分がいくら誘っても首を縦に振らなかったはずだ、とゴーランドは妙に悟ったような思いを抱く。

「ユリウス、お水貰ってきたわよ! ほら、大丈夫?」

ぱたぱたと再び音を立ててアリスが戻ってきた。手には水の入ったコップを抱えて。

「すまない・・・・」
「別に良いわよ。無理に誘っちゃったのは私だし。でも苦手なら苦手って今度からは言って欲しいわ。嫌いなものに無理に乗ってもらっても楽しめないでしょう」
「別に嫌いなわけでは・・・・・」
「ユリウスじゃなくて、私が楽しめないの。こういう所では皆一緒に楽しむものなんだから」
「・・・・・・それは隣でわいわい笑っていた奴の言う台詞じゃないと思うが」
「うっ、そ、それはまあ忘れてよ・・・。とにかく、無理はしなくて良いから。ユリウスだってほら、誰かに無理してまで付き合ってもらいたいなんて思わないでしょ!」

無理をさせているな、とは途中で気付いていたアリスだったが久しぶりの絶叫系マシンについ気持ちが高ぶってしまった。ばつが悪そうな表情を浮かべるアリスに苦笑を浮かべたユリウスであったが、やがて何時もの笑みを浮かべると「確かにそうだな・・・」と頷いてくれた。

「そうよ。別に絶叫系じゃなくても乗るものは沢山あるんだもの、今度はもっと大人しい物にしましょう」
「となると・・・あれか?」

と言ってユリウスが指し示したのはクルクルと回り続ける回転木馬だった。途端、今度はアリスの動きがぴたっとと止まってしまう。

「へ・・・・・あれはちょっと・・・。別の意味できついかも・・・」
「だろうな・・・。まぁ良い、私にも今日は時間がある。お前が満足するまで付き合ってやるさ」

途端、ぱっと顔を輝かせたアリスにユリウスも微笑み返した。気分も大分落ち着いてきたので、水の入っていた紙コップを傍のゴミ箱に投げ入れると傍らに立つアリスへ「行くか?」と手を差し伸べた。アリスも当然の事の様に微笑みながら彼の手に自分の手を乗せる。
その自然な仕草にゴーランドは彼らが昨日今日、こういったやり取りを始めたのではないという事を悟った。

2人の姿が完全に奥へ消えていったのを確認し、ゴーランドはそっと物陰から身を出した。
この世界の唯一の時計を扱える彼は、どうやら余所者の時計の扱いにも慣れていたらしい。
それとも、やはり彼女が特別なのだろうか・・・?

そっと自分の右胸に触れてみる。
いつもの様にチッチッチッと時計の鳴る音が聞こえる、ただそれだけだ。
ちくり、と痛みを感じた気がするのは気のせいだったのだろう。
これは時計であって、心臓などではないのだから。

ごめん、訳解らない。
でもゴーランドものこともやっぱり訳解らない。良い人すぎるんだよね、彼。



4:僅かでも確かな笑顔の違い
エース

「・・・・消えてしまいそうだ」

時計塔のやっかいになるようになって、どれくらい経つのだろうか?
そんな事今まで気にした事なんて無かったけれど。
決して短いとは言えない時間帯の中で、彼のそんな言葉を聞いたのは始めての事で。

塔の屋上へと通じる扉へと伸びかけていた手をエースは思わず引っ込めた。

「・・・・消えないわよ、何を言っているの?」

けれど彼女もまた彼と同じように、消え入りそうな声で返す。
何処か悲壮感の感じるその声音に立ち去ろうとしていたエースの足がピタリと止まる。

「そうだな、お前は確かにここに居る・・・・・。今はな」
「・・・・・・・消えて欲しいのかしら?」
「まさかっ!! だが・・・・」
「貴方が望まない限り、私はここから出て行かないわよ。絶対に、勝手に消えたりしない・・・」

そっとユリウスの手がアリスの頬に伸びる。
確かに彼女がここに居ると、確かめるように一瞬と惑うように手がぴくりと動き、そして恐る恐るといった様子で彼女の頬に触れた。アリスがそんな彼の手の上に自分の手を重ね合わせる。自分はここよ、と言うかのように。

「ほら・・・・、居るでしょう」
「そうだな・・・・。何故だろう、当たり前な事なのに何故か酷く安心する」
「私も・・・・こうやって貴方に触れられていると、凄く安心する」

ふわり、とアリスが微笑んだ。
嬉しげに、そして何処か悲しげに。
彼女の言葉に、その笑顔に嘘は無い。本心からの物のはずなのに---何故か胸が締め付けられた。

ユリウスの腕が彼女の身体に伸ばされる。そのまま彼はアリスの華奢な身体を抱きしめた。アリスも抵抗する様子もなく、彼のしたいままにさせている。

「消えないでくれ・・・・」
「・・・・消えないって言ってるでしょう。貴方こそ・・・・・」

今度はアリスの手がユリウスの背にそっと伸ばされた。白い腕が彼の紺色のジャケットの布地をぎゅっと握り締める。
互いが居る事を確かめたくて。

カツン、と音を立ててエースはその場から離れた。
彼らに気付かれたかもしれない、という心配は無かった。どうせあの2人は互いの事で夢中だろう。自分が居たとしても、直ぐにそんな事忘れてしまうはずだ。
時計塔の長い階段を下りながら、エースはいらだつ心を抑える事が出来なかった。ユリウスにだろうか、それともアリスに?
両方かもしれない。彼女にあんな風に触れて、自分には決して見せてはもらえない笑顔を浮かべてもらえるユリウスにと、あんな風に彼には素直に弱音を吐いて、彼だけの笑顔を浮かべるアリスにも。

ぎゅっ、と剣の柄をにぎしりめる。
今にも剣を抜いてしまおうとする思いを押さえ込むかのように。

「・・・・・あ~、でも俺その場合どっちを切れば良いんだろ?」

ぽつり、と呟かれた言葉は時計塔の長い階段の中に消えていった。

時計塔イベントで、ユリウスが「消えそうだ」とかいう台詞を言っていたけれど、アリスもまた彼が消えてしまうのを恐れていたんじゃないかなって。
だってずっと夢だと思ってたんだもんね。



5:私には貴方しかいないのに
ブラッド・デュプレ

「友人として忠告するが・・・。時計屋には近づかない方が良い」

ブラッドの言葉にアリスはむっとしたような表情を浮かべた。
だがブラッドは構わず言葉を続ける。

「これは友人としての忠告だよ、お嬢さん。あいつは君が近づいて良い人間じゃない」

イラついたような声。普段からやる気が無く、感情の起伏を滅多に出さない彼にしてみればそんな態度は非情に珍しい事だったろう。
言われたアリスも、常の彼女であればそんな彼の感情の起伏に気付けたかもしれない。けれど彼女もまたイラついていた。突然現れて、自分の大切な人を貶める台詞を言われたのだ。怒らないほうが可笑しいだろう。

「・・・・・そんな事、貴方に言われる筋合いはないわ!」

彼の一世一代の忠告は、冷たいその一言によって跳ねつけられた。

 

 

「・・・・・憎まれるのもまたあの子の心を奪う、一つの手段ではあるな」

いつもの様に突然に現れた姉は、来るなり早々物騒な言葉を呟いた。

「何の話だ?」
「解らぬはずが無いだろう、幾らお前が阿呆でもな。時計塔の前で随分と派手にやりあったようじゃの」

敵対する勢力同士、出会えば打ち合わなければならないのがこの世界のルールだ。それがたとえ勝てない相手であったとしても。

「言っておくが、仕掛けてきたのは向うからだが」
「解っておる、お前がわざわざ自分から面倒事を始めるとは考えられぬからの。だが、今回はその面倒ごとに首を突っ込んでいるようじゃが」

身内の近さからか、それとも女性の勘というやつか。彼女は時々全てを見透かしたような台詞を口にする。
今回もまた、それが何をさしているのか理解したブラッドは苦々しく表情をゆがめた。

「姉貴には関係ないことだと思うが」
「本当にそうではないのなら、嬉しいのじゃがな。残念ながら、お前とわらわは誰も知らぬこととはいえ身内同士。お前のした事はわらわにとっても関係が出てくる。特に、アリスの事に関しては・・・」

ぴくり、とブラッドの瞳がつりあがる。
たった一人の少女の名前、それが自分の時計をこんなにいらだたせるなんて、どうして想像できただろうか。

「愚かな事を考えているのであれば、止めておけ。幾ら近づくなと言っても、あの子は聞きはしないだろう。だって既にアリスの心は奪われてしまっているのだからね、お前以外の者に」
「・・・・・・・・・・・」
「愛情は手に入れられなくとも、心は欲しいといったような目じゃな。じゃが、時計屋を殺してもあの子はお前を憎んでなどくれぬじゃろう。それよりお前を苦しめるもっと効果的な方法を知っているのだから」

ビバルディの瞳があざ笑うように吊り上げられる。それは彼女が面白いおもちゃや退屈しのぎを見つけた時に好んで浮かべる表情だった。

「アリスはお前を憎んでくれなどしない。それどころか、お前の事を自分の心の中から全て追い出すだろう。自分の心にお前が宿る事、それこそがお前の望みだと知るが故にな」
「っ!!」

同姓であるが故に姉は弟より彼女の心の向かう先が見えるのだろう。
反論したくとも反論できない、それでも自分を睨みつけることをやめない弟に姉は再びにんまりと唇を上に吊り上げて笑った。

この姉弟好きかも。
アリスを取り合ってじたばたしていると良い。



6:見つめるのは背中と横顔
ビバルディ

「ほんに、酔狂な女子じゃのう、お前は」

ハートの国の女王ビバルディ。
この世界に存在するどの色よりも赤い色を好む彼女の唇を染めるのは、やはり緋色。声音は優しいけれど、彼女の唇が何か面白いおもちゃを見つけたときの子供の様に
上へ吊り上げられている事にアリスは気付いていた。

「・・・・・行き成り何よ、ビバルディ」

彼女に限らず、この世界の住民は皆自分独自のルールで動いている。やりたい事をやりたい時に行い、言いたい事をそのまま口にする。
それが相手に良い効果を齎さないとしても、決してオブラートにくるんだりはしない。

「そう思ったから口にしただけじゃ。聞き流してくれても良いよ」
「・・・・・・・・・」

口ではそういうが、彼女の言葉を無視したりすれば、恐らく次の瞬間には自分の首は飛んでいるだろう。
何しろ彼女は「首をはねるのが好きな、ハートの国の女王陛下」なのだから。

「心配せずとも、お前の首をはねたりなどせぬよ。首だけになったお前より、こうして動いているお前の方がわらわには面白く見えるからの」

アリスのそんな考えを読み取ったのか、ビバルディはやはり緋色の唇を吊り上げながらそんな台詞を言った。

「・・・・・・じゃあ、貴女が面白く感じなくなったら私の首をはねるのかしら?」
「そうじゃのう・・・」

アリスの返答にビバルディはくすくすと笑う。
グリーンの瞳がアリスの足元から頭の上につけているリボンまでゆっくりと上下に動く。
切れ長の瞳に見つめられた瞬間、アリスは自宅で飼っている猫のダイナを思い出した。こちらが撫でようと手を伸ばすと嫌がるくせに、全く構われ無いと酷く不機嫌になる猫は、酷い悪戯や業と爪を立てたりなどありとあらゆる事をしてこちらの気を引こうとするが、その時の何が最も効果的なのかを考えている彼女の目と、今のビバルディの瞳は酷く良く似ていた。

「・・・ふふ、そういえばお前の首は落としても、消えないのであったな」

死ねば時計だけを残して消えてしまうこの世界の住民と違って、アリスの身体は残る。
滅茶苦茶な時間が流れるこの世界だ、きっと永遠に切られた当時のままの姿を保ち続けるのだろう。

「・・・・・・お前の首をわらわの部屋においておくというのも、おもしろいかもしれぬの」
「・・・・・・・・・冗談よね、ビバルディ?」

心底嫌そうな表情を浮かべたアリスとは対極に、ビバルディの顔は明るく良い事を思いついた、と言わんばかりに輝いている。

「無論本気じゃ」
「・・・・・・・・・・」

だってそうすれば――――彼女はもう何処にも行かない。
自分以外誰も見ない。

あのアリスの心を奪った時計屋さえも。

 

ビバルディの愛は純真な分、重くて濃いと思う。


7:夢でさえ
ナイトメア

「夢だよ」

と言うのが何時もの彼の台詞だった。
目が覚めたら消えてしまう夢の中で、夢のまた更に夢の中にいる彼は「夢だ、夢だ」と自分に繰り返す。

「・・・・・・あんたってどうしてそう、夢だとしか言わないのかしらね」

何時か聞いてみたいと思っていたことだった。
夢は夢、目が覚めたら消えてしまう儚いもの。
自分の夢の住民である彼らよりも、更に儚い存在である彼。二重に眠っていなければ出会えない彼。

「・・・そりゃあ私はナイトメアだから、夢を見させるのが商売みたいなものだし」
「そりゃあそうでしょうけれどね」
「それに、夢の中でないと君とは会えないしね」
「・・・・・別に夢の中じゃなくても、あんたが外に出てくれば良いことじゃないの?」

確かに彼はナイトメアではあるが、夢の中にだけいなければいけないというわけではないらしい。
以前ユリウスとエリオットが時計塔の中で打ち合った事が有ったが、その仲介役を務める為に夢の中から出てきたはずだ。

「こっちに来れば良いのに。そうすれば、結構頻繁に会えるんじゃないの?」
「いやだね、私はここが気に入っている。それに面倒は病院と同じくらい嫌いな物だ」

何処かの帽子屋と似たような台詞を言う、情けない夢魔の姿にアリスはため息をついた。

「・・・・・・それに」
「ん、何?」

 

「そっちで君に会うと、絶対に邪魔が入りそうだからね」

 

会える機会は減ったとしても、邪魔の入らない夢の中の方がどれだけ落ち着いて彼女と供にいられるか。
ここなら滅多に邪魔は入らない。
帽子屋も、女王も、遊園地のオーナーも、そして時計屋さえも。
この中に居る時だけは、自分が彼女を独り占めできるのだから。
ナイトメア・ゴットシャルク・・・。
何故かゴルシャックと思ってた。トが抜けただけで荘厳さが結構抜けるんだなぁ・・・。



8:零れ落ちてゆくもの
エリオット・マーチ

 

「私が殺してやるわ、エリオット」

カチリ、と彼女の白い指がトリガーを引く。
銃の扱いなど慣れてないだろうに、なのに銃口の先は真っ直ぐに自分に向けられていて。
それが僅かに震えているのは、彼女がまだ自分に銃を向けることを躊躇っているためか、それとも単に鉄の塊であるそれの重さのためだけなのか。

前者だったら良い。
そうは思うけれど、エリオットはそれが正しくない事を知っていた。
彼女は優しいけれど、だからといって自分と自分の大切な者を脅かそうとする者を排除する事を躊躇わないだろう。

エリオットがユリウスに銃を向けた一件以来、表面上アリスの態度は以前と変わらなかったけれど、それでもエリオットに向ける仕草や表情の節々に硬いものが混じるようになったのも事実だった。
エリオットは友達だが、何時かまた、彼はユリウスに対し同じ事をするだろうという確信がそうさせるのだろう。

そしてそれは間違っていない。
エリオットはユリウスに恨みを抱いているし、それは彼がアリスの恋人だからといって帳消しに出来てしまうような簡単な感情ではないのだから。
必ず機会があれば、いや今だって時計屋の胸に銃弾をぶち込んでやりたいと願っている。


9:惨めになるだけ

10:それでも好きです / それでも好きでした

4.一体俺がなにをしたっ!!

のんびりと道を歩いていた鶏が、その身体からにじみ出るピリピリとした雰囲気に驚き、慌てて道を開けてゆく。 道行く人々も、一目で神託の盾の軍人とわかる様相をした少女が、剣呑な雰囲気をまきちらしながら進む様子に何事かと視線を向けるが、そんなぶしつけな視線に気付かないほどティアは怒っていた。
軍人として感情を律する訓練を受けたとはいえ、ティアも16歳の少女だ。心無い言葉を言われれば傷つくし、何より身体的な事を気にする時期だと言う事もあった。一度までなら我慢も出来よう、だが二度目となるとそう簡単に怒りを治めることは難しい。

「もう・・・貴族ってどうしてあんなに無神経なのかしらっ!!」

ティアは貴族と言うものが基本的に好きではない。彼女の所属するダアトは、このオールドランド唯一の宗教であるローレライ教団の総本山だ。巡礼にはそれこそ身分の上下を問わず、様々な人間が訪れる。宗教の基本理念といえば、皆平等にというのが一般的だが、やはり金を持っていたり地位が高かったりする者が優遇されるのが世の常というもので、神託の盾の一員となった年月は決して長いとはいえないけれど、傲慢な態度を取る貴族の姿は嫌と言うほど見た経験はあると言えた。

自分の地位をひけらかしたり、金銭さえ出せば何をしても良いと考える者。ティアの中で貴族とは、王の忠実な騎士であり、その盾となる者だった。自らの主を支え、主の民を共に護る存在。それはティアの兄から教えられた事だった。彼もまた唯一と定めた主を持った存在だったから。
兄から主の話を聞かされる度に、幼い心をときめかせ 、何時かは自分もそんな主を持ちたいと憧れたこともあった。だが、現実はティアの理想とはかけ離れていた。ダアトを訪れる貴族達の姿は、とても王の騎士と呼べるものではなかったし 、その自己中心的な姿には怒りさえ感じさせられたものだった。

けれど、最初から余りにも高い理想を抱いてしまっていたからであろうか、彼女は自らの考えと立場の矛盾に気付いていなかった。確かにダアトには、他の二国の様に君主と呼ばれる存在は居ない。だが、呼び方が違うだけであって、結局は導師を中心とした上下社会だ。地位が高い者には服従する、それは当たり前の事であって、苛立ちを覚える事の方が間違っている。

ましてや軍隊という完全な縦社会に身をおく彼女が、例え他国のであっても、貴族に対しそんな態度や考えを見せる事がどれだけ不敬なことなのかを教育されないはずが無い。どれほど人間的に好意を持てない輩であっても、地位を持つ者に対しては敬意とそれなりの態度を取らなければならない事を彼女は、神託の盾に入団した際に教えられた。けれどティアにとって不幸だったのは、知識として教えられはしたが、それを実戦する場を与えられなかった事だった。

神託の盾という集団の中で彼女が過ごしていれば、嫌でも上司や部下に対してや貴族、一般人に対してといった態度の変化を身につけられただろう。けれど、ユリアの子孫という特殊な立場と兄が主席総長という立場に居た事で、彼女はそういった集団の場で生活する事が出来なかった。
いや、必要無かったと言った方が良いかもしれない。只でさえ、特別な血統の持ち主であるという特別扱いを彼女は幼い頃から受けており、そのことを彼女自身が意識していたかどうかは兎も角、幼い頃から彼女は他者に配慮をする必要がなかった。軍に入団した時も、集団という己の個を殺さなければならない場が多々有る中で過ごすという状況を免除され、教官を自宅へ招くなどという”特別扱い”を当然の事の様に受けていた。実際彼女にしてみれば、それは当然のことであり、周囲がそれを妬んだり羨ましがったりするのは間違っているとさえ思っていた。それがどれほど傲慢な考えなのか気付きもせずに。

「ティアっ!!」

一心に歩き続けていた為に、己の名を呼ぶ声が聞こえてくるまで彼が近くに来ていたことに気付かなかった。振り返れば朱色の髪を振り乱しながらこちらへ駆けてくるルークの姿が視界に入ってくる。だが彼女は不快そうにそれに眉根をぴくりと動かしただけだった。そうして彼が己の直ぐ傍まで近づくまで彼女はずっとその表情のままでいた。

「・・・・あの、ティア」

ここまで走ってきたために呼吸がどうしても荒くなる。それでもルークは彼女に早く謝罪をしなければ、と未だ乱れたままの息のまま口を開いた。対してティアの空色の瞳は冷たい色を浮かべたまま彼に向けられるだけだった。

「ごめん・・・俺また無神経な事言ったみたいで・・・・ティアの気分を悪くさせたな」

素直な謝罪の言葉 、何気ない一言が彼女の気分を害してしまった事を彼は心からわびていた。だが、それはティアの心には何の感情もわきあがらせない。彼は失礼な事を自分に言ったのだから、謝罪するのは当然であるとそう彼女は考えている。

「・・・・・・ 本当ね、無神経にもほどがあるわ。貴方、人に言ってはいけない事と良いことの区別もつかないの?」
「・・・・・・・・ゴメン」

けれど彼の立場を考えれば、それは当然の事だ。ルークが言葉遣いや態度に配慮しなければならないのは、公爵邸の中で、いやキムラスカやマルクトであっても数える程度の人数しかいないだろう。それこそ国王やそれに次ぐ地位を持つ人間で無い限り。間違っても、”只の一般兵”であるティアに配慮しなければならないという事はない。だがティアも、そしてルークもそれに気づかないまま、「仕方ない」と言ったような彼女のため息で会話は打ち切られた。

「・・・・・もう良いわ、何時までもこんな所で貴方と言い合っても仕方ないし。さぁそろそろ宿へ行きましょう。これからどうするかを決めなくちゃ」

それは許した、というよりは彼に何を言っても無駄だろうと判断したような口ぶりだった。実際ティアはこの時ルークを「我がままな貴族の子息」としての認識を自分の中に完全にインプットしてしまったのだから。そしてルークの返事を待つまでも無く、再び村の中央へとさっさと歩き出してしまう。ルークも慌ててその後を追いかける。それがどれほど異常な光景なのかに気付かないまま。


***
 

結局、2人が宿屋へ辿り着いた時は昼を過ぎてしまっていた。その理由としては、まずティアが向かった方向が宿屋とは反対方向であったことと、エンゲーブののどかな風景を2人がすっかり気に入ってしまい、あちらこちらと見て回っている内に時間が過ぎるのを忘れてしまっていたからである。

エンゲーブ自体はそれほど大きな村ではなが、世界の食糧庫と呼ばれるほど穀物の生産量が多く、其処に住む者は大半が農業か畜産を営んでいる。村の中は家や建物よりも、畑や大きな実をつけた木々の姿の方が多く 、村人達は畑で農作物の収穫に世話しなく働く者もいれば、用水路で釣りを行うなどののんびりした者もいた。ルークにとって初めてとなる屋敷の外の世界は見るもの全てが真新しく珍しく思え 、何を見ても驚きの声が上がってしまう。

それは新しいおもちゃを貰った子供が、嬉しくて仕方ない、といったようにはしゃぐ様に良く似ていた。だが外見年齢17歳のルークがそれをする様は、微笑ましさよりも奇異さの方が強く出ていただろう。何を当たり前の事をと普通なら馬鹿にされるところだが、諌め役のはずのティアもまた豊かに実る農作物に感嘆の眼差しを向け、ブウサギに歓喜の表情を浮かべるなど自らの思いに手一杯でルークを諌めている余裕など無かった。

村人達は最初の内こそそんな2人に奇異の目を向けていたけれど、もともと大らかで世話好きな気質であったことと、ルークが纏っている服が一目で上質 だと解るものであった為、何処かの貴族の子息がお忍びで来ているのだろうと(あながち間違いではないが)勘違いし、それならばせいぜい歓迎してやろうという使命感に目覚めた彼らは2人に深い歓待を与え続けた。漸くその事に気付いたのは、お昼を一緒にと、ある民家の主婦から誘われ、エンゲーブ名産の味噌を使ったパスタ料理を美味しく頂いた後だった。これはいけない、とまだ名残惜しそうなルークを連れて宿屋へ向かったティアは其処に大きく出来た人だかりに目を丸くする。

「・・・・・何か有ったのかしら?」

宿屋の前に陣取る人々の群れは、どう見ても穏やかとは言いがたい雰囲気を纏わせていた。先ほどまでののどかさが嘘のように思え、2人は不安げな表情を浮かべる。

『・・・・・もうこれで3度目だ。食糧庫に入ってた分は、根こそぎ持って行かれてる』
『来るスタンスが短くなってるな・・・・。けどこっちも警戒してたってのに、どうやって入ったんだろう』
『そんなことどうでも良いだろう。それよりこのままずっと、こんな事が続いたら俺達は・・・・』

「・・・・話の内容からすると、泥棒でも入ったのか?」
「ええ。それも初めてでは無いみたいね。でも困ったわ、これじゃあ宿に入れないわ」

声をかけようにも、皆酷く興奮していてとてもこちらの話を聞いてくれそうにはない。

「・・・仕方ないわ、また暫く向うで時間をつぶしましょう。彼らも何時までも居るって事はないでしょうし」

その言葉にルークの表情がぱあっ、と明るくなった。あまりの解りやすさにティアは苦い表情を浮かべるが、彼女も本心はもう少しこの村を見て回りたかったのだ。自分が育った場所はこことは正反対の草さえも生えない不毛の土地だった。其処を離れ、ダアトへと入信し二年が経つが、その間もこんなに沢山の畑や豊かな作物を見た事は無かった。この先何時来れるかは解らないのだから、今この時にじっくりと豊かな大地の実りを見ておきたかった。

「じゃあさ、今度はブウサギの居る方へ行ってみないか? あっちに子供をつれた奴がいたんだ」

(本人は隠しているつもりらしいが)可愛いものに目が無いティアは、一も二も無くこの申し出に勿論飛びついた。 愛らしいブウサギが戯れる様を想像したのだろうティアの雰囲気ががらりと柔らかいものに変わる。その変化にルークは苦笑を漏らしながら足を踏み出そうとした。だがルークが振り向いた瞬間、逆方向から歩いてきた男と勢い良く肩がぶつかってしまう。彼もまた泥棒の被害者らしく興奮しすぎてどうやら周囲をよく見ていなかったようだ。だがそれだけであれば、双方とも謝って済んだだろう。ルークにとって災難だったのは、先ほど屋台売りの男性から貰ったりんごがぶつかった拍子に道具袋から出てしまった事と 、エンゲーブに出没しているという泥棒が食糧専門であったと言う事か。慌ててりんごを拾うとしたルークの手を男が突然掴みあげる。驚いたルークが顔を上げると、興奮しきった表情の男がルークを睨み付けている。

「な、何だよあんた? いきなり人の腕を掴んで・・・」
「お前・・・このりんごを何処で手に入れた」
「はぁ? 何なんだよあんた、いきなり何言ってんだ?」
「いいから答えろっ!!」
「ちょっと貴方、一体何なの?」

さすがに尋常ではない男の様子にティアも諌めにかかるが、男は一向に静まる気配がなかった。そうこうしている内に騒ぎを聞きつけて、宿屋の周辺にいた者達もルーク達の方へ集まってくる。

「おい、お前どうしたんだよ?」

その内の1人がルークの腕を掴む男へと声をかけた。

「こいつがエンゲーブの焼印がついてないりんごを持ってたんだ・・・」
「はぁ? それがどうしたって言うんだよ」

エンゲーブ産の農作物は質が良く、それゆえ世界中へと出荷されている。その為他の野菜と区別が直ぐつくように必ず出荷前に焼印が押されることになっていた。それが有るのと無いのでは値段もかなり違い、ある意味ブランドの印 にもなっている。だが勿論エンゲーブで採れたものが全て外へ流通するわけでもなく、エンゲーブ内で売り買いされる商品については焼印が省略される事も多くあった。だからルークのりんごに焼印が押されていなくとも、別段不思議な事でも何でもないはずなのだ。だが男がそういった瞬間周囲がざわりとざわめいた。

「・・・・・・おい、たしか食糧庫のりんごには・・・・」
「ああ、まだ焼印を押してないのが幾つか有ったはずだ」
「そういえばこいつらよそ者だよな・・・・何時からここに居たんだ?」
「俺、こいつらが村の中をうろうろしていたのを見たぞ。もしかしたら・・・・」

自分達の周囲の温度がどんどん下がっていく。はっきりと口に出されたわけではないが、自分達が置かれている状況が理解できないほど2人も馬鹿ではなかった。

「ちょっ、ちょっと待ってください!! 私達は確かにこの村に来たばかりですけれど、泥棒なんてしていません!!」
「じゃあ何でりんごを持ってたんだ!」
「それは・・・・」

確かにティアはルークがりんごを貰った事は見ていたが、それは既にルークが食べてしまっていたはずだった。だから今ルークが持っているのは、彼女が屋台を離れた後で購入したものなのだろう。だが買ったところを見ていたわけではなかった為、一瞬言葉を口ごもってしまう。そうして口ごもったところへ男達は容赦なく言葉を畳み掛ける。ルークも必死で反論しようとするが、興奮し頭に血が上った状態の男達が正確な判断など下せるはずもなかった。

「おい、役人を呼んで来い!!」
「盗人め、散々俺らの作った物を盗みやがって!! 役人に突き出してやるから覚悟しろよ!!」
「ちょっ、ちょっと待てよ! 俺らは泥棒じゃねえ!!」
「話を聞いてくださいっ!!」

腰の木刀を奪われ、腕や髪を捕まれたルークはされるがままになる事しか出来なかった。

1-4

「ふむ・・・少しヒムカミがむずかっておるようじゃが、まぁ問題ないじゃろう」
「本当ですか?」
「うむ、この分なら起き上がれるようになる日も近いかもしれん」

何度かユズハの身体を触診した後にトゥスクルが続けた言葉にオボロは喜色の色を浮かべる。

「良かったなぁ、ユズハ!」
「はい」

まるで自分の事の様に喜ぶオボロにユズハも柔らかい笑みを浮かべる。

「さて、わしらは少し話が有るでの。お主らは、そうじゃなわしらが戻るまでユズハの話し相手をしてやっていておくれ」

そう言うと、早々に椅子を立ったトゥスクルに案の定オボロが「トゥスクル様!」と咎める声をあげた。
だがトゥスクルは「さっさとこぬか!」、とオボロの長い耳を掴むと有無を言わせず、そのまま部屋の外へ引っ張っていく。

「ト、トゥスクル様っ!」

最後の抵抗の様にオボロの声が聞こえてきたけれど、すでに部屋から引きずりだされてしまっている彼に何が出来る訳もなく、やがて静寂の戻った部屋の中、取り残されたハクオロとアマネはどうしたものか、と顔を見合わせながら内心途方にくれていた。
どちらかと言うと、アマネはそんなに口が回る方ではない。それに長くは生きているものの、同性の知り合いと言えば、思い浮かぶのは遥か昔に別れた姉くらいのもので、ユズハの様な少女と何を話せば良いのか検討もつかない。そしてそれは父も同じであった様で、どちらも何を話せば良いのか、また互いが先に何かを話し始めて貰いたいと思っているのがありありと感じられ、また更に途方にくれていた。

「あの、ハクオロ様、アマネ様?」

だが何時の間にか寝床から半身を起こしたユズハが二人に閉じた瞳を向けていた。

「あ、あぁ・・・様なんて付けるから、誰の事かと思ったよ」
「・・・私もです。様付けで呼ばれるような身分ではありませんので」

「そうなのですか?」、と不思議そうに問い返すユズハに、彼女にはこれが当たり前なのだと二人は気付く。

「ユズハ・・・さんは」
「どうかユズハとお呼び下さい、ハクオロ様」
「ユズハ・・・は何処か具合が悪いのかい?」

自分だけ呼び捨てるのはどうなのか、と感じるけれど、彼女がそれを望むのであればそれも良いだろう。当のユズハがハクオロが彼女を呼び捨てた事に嬉しそうに表情を和らげているのだから。

「・・・よく解りません。ずっとこうだったから」
「っ、すまない!」

彼女の柔らかい雰囲気にほだされ、何気なく聞いた一言だったが、思慮が足りなかった。慌てて謝罪するハクオロにユズハはやはり柔らかい笑みを浮かべながら「どうして謝るのですか、ハクオロ様のせいではありませんのに」と笑って返す。

「あ、あぁ。そうだな、すまない」
「ふふ、あのハクオロ様の事をお聞きしてもよろしいですか?」
「自分の?」
「はい、ご迷惑でなければ」
「いや、迷惑なわけは無いが・・・自分は」
「?」

歯切れの悪い返答にユズハは自分が悪いことを聞いてしまったのか、と表情を曇らせる。

「自分は・・・どこかで怪我をしていたらしくてね、トゥスクルさんに助けられた。だが、目覚めてみたら過去の事を忘れていた」
「!」
「だから、話せるような事は特には無いんだ。すまない・・・」
「いえ・・・私こそすみません。ふふ・・・・」
「ん、どうかしたのか?」

突然可笑しげに笑い出した少女にハクオロが不思議そうに問いかけた。

「すみません。あ、また・・・・。私達謝ってばかりでしたから、ついおかしくて」
「・・・そうだな」

互いに謝りあってはいたけれど、二人の間にさっきまでの気まずい雰囲気は無く、むしろ和らいだものに変わっていた。
ハクオロの身体からも先ほどまで感じられていた戸惑いが薄れ、穏やかなものへと変わっている。二人が穏やかに話し始める中、只一人アマネだけがぽつん、と一人だけ其の中に入ることが出来ず、ただ二人のそんな穏やかな様子を見つめていた。

どうやってその穏やかな雰囲気の中に入っていけば良いかも解らなかったけれど、それよりも父の口から出た言葉に言葉を失ってしまったという方が正しいだろう。

『・・・・記憶喪失?』

ありえない事では無い。いくら力があると言っても、ハクオロの身体はヒトと同じものだ。怪我もすれば、記憶を失うこともあるだろう。
と、納得してもそれを簡単に受け入れる事はできなかったけれど。

「あの、アマネ様は・・」
「え・・・?」

だからユズハがアマネに声をかけて来た時は本当に驚いた。自分の考えにこもってしまい、二人が話している声等全く耳に入っていなかったのだから。

「あ・・・、すみません突然話しかけたりしてしまって。驚かせてしまいましたか?」
「え、いいえ。そんな事は・・・・。何でしょうか?」

自分は余り他の人と話すことが無いから、もしかしたら不愉快な想いをさせているかもしれないと心底申し訳なさそうに謝ってくるユズハに慌てて「違うのだ」と否定の言葉を何度も口に出し、漸く納得してもらう。

「アマネ様は薬師なのですか?」
「え、ええ、そうですが。でもどうして?」

ハクオロが彼女に話したのだろうか? けれど先ほどの二人の会話にそんなものは無かった筈だが、とアマネは記憶をたどってみるがやはりその様な会話は無かったと再確認しただけに終わる。それにハクオロが-たとえ記憶を失っていたとしても-アマネの事を好んで口に出すとは思えない。

「アマネ様からトゥスクル様と同じ薬草の香りがしましたから。暖かい、優しい香り。それに・・・・」
「?」
「あの、違っていたらご免なさい。アマネ様とハクオロ様はご家族なのですか?」
「え?」

どくん、と心臓が大きく跳ね上がる。傍らではハクオロも同じように驚いた表情を浮かべていた。

「い、いいえ・・・・。違います、どうして・・・・・」
「あ、ご免なさい。お二人から同じ香りがしたもので。ですからてっきりご家族なのかと・・・」
「同じ、香り・・・?」
「はい、大きな土の香りが」

お二人の身体から香ってきます――、と無邪気な様子でユズハは応えた。

「・・・・・・・・・・」

彼女にとってみれば、それはただ感じた事を口に出しただけにすぎなかったけれど。
アマネにとって、それは---。

「・・・・アマネ様?」

目は見えなくとも―だからこそ他者の感情の起伏には敏感になるのかもしれないが―、アマネの纏う雰囲気が変化したのを敏感に察知したユズハは、それが自分の発した言葉によっての事だという事も気づいていた。

「あの・・・・、私何かいけない事を言ったでしょうか・・・・?」

恐る恐る、と言うより酷く傷ついたような声で問いかけてくる少女にアマネが何を言い返せただろう。

「いいえ・・・、何でもありません」、とただ其れだけを言う事しか。彼女は悪くない、何も知らないのだから。思ったことをただ口に出しただけ、それは罪と呼べるものですらない。たとえ其れがアマネを知らないうちに深く傷つけたとしても。

「・・・・・すみません、そうですねハクオロ様のようなお身内が居ればよかったのですけれど。生憎と、何の関係も無いんですよ」
「そうなのですか・・・?」
「ええ・・・・。先ほどまで一緒にいましたから、ひょっとしたら香りが移ってしまったのかもしれませんね」

本当はそうでない事は解っているけれど、それを知るのは自分だけで良いことだから。
自分の中に彼の血が流れている事を知るのは自分だけで良い。父でさえ、今はその事実を忘れているのだから。

「それより、ユズハさん、私も貴女を診察させてもらっても良いですか?」
「え?」
「トゥスクル様ほどではありませんが、私も色々国を回って薬学を学んできました。もしかしたら少しはお役に立てるかもしれません」
「え・・・・、あ、はい。でも、良いのですか? ご迷惑では?」
「いいえ。では、良いのですね」
「はい・・・・、お願いします」

ぶしつけな事は充分承知していたけれど、これ以上ユズハに自分の気持ちを悟られるわけには行かなかった。と言って、上手く話しを切り替えるなどという高等技術がアマネに出来るはずも無く。結局、無理やりユズハを診察する、という申し出を出すしか出来なかった。
けれどアマネとて何も考えずにこんな事を申し出たわけではない。薬学の知識が有るのは本当だし、治す手伝いが出来るのであれば、と思ったことも本当だった。
ユズハの手を取ると、まずは脈を取り、次に彼女の身体へ手を伸ばしていく。
小さな鼓動の音が手を通り、アマネの中へと流れてくる。聴診器などの道具は無いから、自分の手だけで彼女の中を"診なければ"ならない。
だからこの時だけは、アマネは全ての意識をユズハへと向ける。父の事も、自分の事も忘れて、ただユズハだけの事を考えた。


どれくらいそうしていただろうか。
決して短い時間ではなかったけれど、長い時間でもなかったような気がする。
ハクオロに医学の知識は無いが、それでもアマネがただユズハに触れているだけでない事は理解できた。けれどそれは彼が、豊富な知識を持っているからであって、他人にはただ触れているだけにしか見えないくらいなんでもない動きであった。
それでもアマネの手と指は確実にユズハの中の病巣を一つ、また一つと見つけていく。

「お前っ、何をしているっ!!」

だが妹の事となると見境を無くす兄にとって、それを診療の為の行為と認識する事は容易いことではなかった。
只でさえ、見知らぬ者達と供に居る妹の事が気になって仕方なかったのに、漸く部屋へ駆けつけてみればトゥスクルの身内とはいえよく知りもしない女が妹の身体に触れている。咄嗟に大きな声を上げてしまってもそれは仕方が無かっただろう。
集中を乱されたアマネの手がピクリ、とユズハの身体から離れた。そしてそのまま、駆け寄ってきたオボロに其の手を掴まれる。
ハクオロが止める間も無く、ギリギリと容赦など一切感じさせない力で、オボロはアマネの手を締め上げる。

「貴様、よくも妹にっ!!」

法術が使えても、身体は生身のヒトとそう変わらない。腕を捻り上げられれば痛みも感じるし、もっと力が加えられれば最悪骨が折れるかもしれない。

「っ!!」

自然と口から漏れ出た悲鳴が、余りのオボロの反応の速さに呆然としていたハクオロとトゥスクルの意識を漸く呼び戻した。

「オボロ止めろっ!!」
「止めんかっ、馬鹿な事をするでないっ!!」

慌ててハクオロがオボロを止めに入るが、それよりも早くオボロを止めた声があった。

1-3

どれだけ歩いたか、山深く、狩り人とて滅多に足を踏み入れないだろう山深い場所にその砦は有った。かなりの大人数が暮らしているのか、規模も大きく、櫓の上には夜分だというのに見張りが数人立ち辺りに目を凝らしている。

「こんな所に砦が?」

前を歩いていた父の驚いた声が聞こえてくる。

「誰にも言うてはならんぞ、いらぬ誤解を招くからの。アマネ、お主もな」

トゥスクルの言葉にアマネも父‐ハクオロ‐も頷く。確かにこんな山奥に、国に属さない砦が有るなどどう考えても穏やかなものが思い浮かばない。それにオボロと名乗った青年、彼は二人の少年から若様と呼ばれていたが、あの鍛えられた無駄の無い体付きから考えても、まともな職に就いているとは考えにくい。よく見積もって傭兵、悪く考えれば盗賊の類だろうが恐らく後者だろう、でなければこんな山奥に隠れ住まなければならない理由が無い。

だが馬から下り、砦の中に入った途端、アマネは自分の考えを改めさせられる事になる。無論、彼らが"ただの"盗賊ではないというわけではなく、"訳あり"の盗賊だというに気付いた程度だったが。

砦の中は広く、ちょっとした豪族の屋敷くらいの大きさがあった。飾り気こそ無いものの、かえってそれが品の良さを感じさせる。盗賊の隠れ家に品を感じるのもおかしいかもしれないが、そう感じさせる何かがここには有った。時々すれ違う者達がオボロの姿を見つける度に頭を下げていく。その姿もまるでよく仕付けられた女官の様でアマネを更に戸惑わせた。傍らを歩く父も同じように感じているらしく、前を歩いているトゥスクルに何度か説明を求めるように視線を向けるが彼女も、勿論オボロもそんな二人を尻目をどんどん先へ進んでいってしまう。

「あんた達はここで待っていてもらおう」

戸惑いながらも進んだ先にあった部屋の前でオボロが二人へと言い放つ。だが次の瞬間、トゥスクルが「お前達も入るが良い」と、その言葉を否定した。

「トゥスクル様!」、と悲鳴の様な声をオボロは上げたが、トゥスクルは「わしの言うことが聞けないのかえ」、とそれを黙らせる。

「大体、お主はあの子に過保護すぎる」

「ふぅ」、とため息混じりにつぶやかれた言葉にオボロも言葉を返す事は出来なかったようで、しぶしぶながらも廊下と部屋を区切っている薄い紅色をした布地を払い室内へと足を踏み入れた。

「お兄さま?」

途端、聞こえてきたのはまだ幼さの残る少女の声。少々声が弾んでいるようなのは、兄が戻ってきた事を素直に喜んでいるからだろう。

「ユズハ、まだ起きていたのか? ちゃんと身体を休めないと駄目だろう」
「大丈夫、今日はとても気分がよいの」

だがオボロは「駄目だ」、と強い口調でユズハを横たわらせた。その有無を言わせない仕草が何となく気にはなったが、少女が大人しく従っているので何も口には出さなかった。

「トゥスクル様? いらっしゃって下さったんですね」

少々強引に床につかされはしたが、少女は気にした様子もなく、明るい声をあげた。

「おお、気付かれてしまったかの。今日はわしの勝ちかと思ったんじゃが」
「はい、暖かな薬草の香がしましたから。それに、お客様?」

少女の閉じられたままの瞳がハクオロとアマネに向けられる。その全く邪気の無い問い掛けに一瞬どう答えようかと返答につまったものの、「ほれ」とトゥスクルが早く答えろて言うようにハクオロを肘でこづいた。

「あ、あぁ。自分はハクオロという。今日はトゥスクルさんのお供で来たんだ」
「アマネと申します」

二人が返事を返すと、ユズハは嬉しげに笑みを浮かべながら言った。

「お客様何て初めて、こんな格好でごめんなさいね」

そう言って身体を起こそうとするが、やはりオボロに止められてしまう。

「トゥスクル様、早くユズハを診てやってください!」

口調は丁寧だが、明らかに苛立った様子になったオボロにトゥスクルもそれ以上はいけないと悟ったのだろう。
「あ、あぁ。そうじゃったの」、と曖昧に返事を返すとユズハの傍へ歩み寄った。

1-2

父の思念を追って歩く内に気付いたのは、相変わらずヒトは何時果てるかとも解らない争いを続けいるということ。
変わったことと言えば、以前目覚めていた頃と国の名前が変わっていた事くらいで、後は目新しく思うものは何も無いということだった。
この事があの優しい父に知れたら彼はさぞ悲しむだろう。自らを災いとし、子等に干渉する事を恐れ、眠りを望んだ父。

しかし父が何もしなくてもヒトは互いに争い、他族を蹂躙し続ける。
それとも喜ぶかもしれない。ヒトが自分の高みに自ら近付きはじめたと。

いずれにしろ、これからヒトの世は大きく動くだろう。父が望まず、また望んだ通りに。
壱であり弐である者が目覚めたのだから。
それも、同時にーー。

 

 

キィンーーー鉄と鉄の重なり合う音が闇の中に響く。
一人はまだ若い男の思念の様だが、それと打ち合う思念は自分がよく知る存在。
アマネは足取りを早めた。

月下の下、激しく打ち合うのは二人の男。

一人は動き易そうな、大きくはだけさせた服装をしており、もう一人は白く襞の長い服を纏っていた。だが何よりアマネの目を奪ったのは白い服を着た男の顔半分が仮面に覆われていた事だった。

「・・・お父様」

間違いない、彼だ。
けれど何だろう、違和感を感じる。
父である筈なのに、父ではない様な。
それにヒト相手にあの父があそこまで梃子摺るとは考えられなかった。
父の事だ、殺したくないと思って手加減しているのかもしれないが、それにしては動きがぎこちない。
もしかしたら、まだ先の目覚めで負った傷が癒えてないのかもしれない。どちらにしろ父に剣を向けた相手だ、ならば彼女にとっても敵であることは間違いない。考えるより早く、アマネは二人の前に飛び出していた。

「なっ!」
「何っ!」

突然、間に割り込んできた存在に男の刄がわずかにずれる。アマネはその瞬間を逃さず、杖代わりに持っていた木の枝を男の腹に叩き込んだ。
「ぐふっ!」、と男は胃液を吐き出して蹲った。途端、左右からアマネと父に向けて矢が飛んでくる。アマネは父を庇う様に、彼の前に一歩進み出ると壁を作りだした。
彼女の手の先から浮き出た水色の半透明な壁に当たって矢が跳ね返る。ついでアマネは力ある言葉を放った。歌う様な響きを持った言葉が大気の中に消えたと同時に二人の射手の周りに突風が巻き起こった。
それは突風と言うよりも竜巻と言った方が良いかもしれないくらい大きなもので、しかも大きくうねった風の刄が射手達の服を切り裂き、肌を切り裂いていく。

「ドリィ、グラァ!」

腹を抱えて蹲っていた男の口から悲鳴の様な言葉が漏れた。

「きっさまぁーー!」

二刀の太刀を構えなおし、男は再びアマネへと切り掛かってくる。だがアマネは慌てた様子もなく、再度壁を作り出すべく腕を前へ伸ばそうとした。
だが、横から伸びてきた手が彼女の腕をつかんだ。

「やめろっ!」

それは父の言葉、アマネにとっては何よりも優先しなければならないものだ。
剣の切っ先が目前に迫っているにも関わらず、アマネは大人しくその言葉に従い父の方へと体を向けた。

「やめんかっ!」

まさに切っ先がアマネを切り裂こうとした瞬間、怒声の様な声が響いた。カッ、と老婆の手にしている杖が地面と打ち合わされ堅い音を立てる。

「トゥ、トゥスクル様・・・」

男の口から驚きとも怯えともとれる声が発せられる。

「わしの身内に剣を向けるとは、どうゆう料簡じゃ、オボロ」
「み、身内? トゥスクル様の!」

肯定するようにトゥスクルと呼ばれた老女は首を上下させた。
それを見た男は慌てて刀を後ろへ隠す。大の男が、どう見ても彼より力の無い老女に怯える様は傍で見ていた二人をあっけにとらさせるには十分なものだった。

「トゥスクルさん、これは一体・・・」

父が戸惑った声で彼女に問い掛けると、トゥスクルは男に向けていた強ばった表情を和らげ二人へ振り向いた。

「ああ、すまなかったね。それよりもお主、どうしてこんな所におるんじゃ?」

父がエルルゥという少女‐彼女の孫らしい‐に頼まれて追い掛けて来た事を告げるとトゥスクルは合点がいったというように「すまなかったねぇ」と謝罪の言葉を口にした。

「少しばかり身体の悪い子がおってな、時々こうして様子を見に行ってるんじゃよ」
「しかし、ならどうしてこんな夜更けに?」

父の言葉にトゥスクルは「色々と事情があるんじゃ」、と言うだけでそれ以上は何も語ってくれようとしなかった。

「さて、お主・・・」

そして次に彼女の鵈色の瞳がアマネへと向けられた。

「?」

当然の事だが、アマネに彼女の顔に覚えはない。だがその瞳の色をどこかで見たような記憶は有った。

「やはりの・・・、アマネ、そうじゃな?」
「!」

老女が自分の名前を言い当てた事にアマネは驚き、声を無くす。だが反対にトゥスクルは笑みを深くすると、「久しぶりじゃのう」と嬉しげにつぶやいた。

「トゥスクル様、そいつの事、ご存じなんですか?」
「こりゃ、そいつとは何じゃ! この子はわしの薬師の師匠・・・である方の孫なのじゃぞ」
「ト、トゥスクル様の師匠!」
「・・・の孫じゃ」

青年と何時の間に傍に来ていたのか、よく似た面立ちの少年達がそろってすっとんきょうな声をあげる。だが驚いたのはアマネも一緒だった。薬師の師匠など、一体何処からそんな話が出たのかさっぱり検討がつかない。

「トゥスクル・・・?」

だが、薬師という言葉と老女の名前にアマネは覚えがあった。そして何処か頭の内に引っ掛かった彼女の瞳。

「まさか・・・?」

ありえない事では無かった、けれどこれまでに無かった事も事実だった。見知った人間にまた会うことができるなんて―アマネの驚きを感じ取ったのか、トゥスクルはすっかり皺のよった顔を緩める。

「積もる話もあるが、わしらにはこの後少々用事があっての・・・」

まるで本当の孫にでも語り掛けるような優しい口調にアマネの表情は益々困惑したものとなっていた。以前は、アマネが彼女にこうして語り掛けてやっていたのに。

「そうじゃな・・・お主達も一緒に来るといい。其の方があの子も喜ぶじゃろうて」
「トゥスクル様、こんな得体の知れない奴らを」

ずっと蚊帳の外に放り出されていた青年がたまらず大声をあげたが、トゥスクルは「わしの身内を疑うのかえ」、と黙らせる。

「それに・・・、アマネは腕の良い薬師じゃよ。恐らく、わしよりもな」
「ト、トゥスクル様より! そんな馬鹿な」

青年達の驚いた声が閑散とさた谷間に響きわたる。一方アマネは彼らが何をそんなに驚いているのかが分からず、きょとんとした表情を浮かべていた。いや"彼らが"、と言うより父まで驚いた表情を浮かべた事にだろう。彼は知っているはずだった、アマネに薬学の知識が有ると言うことを、そして彼女こそがトゥスクルに薬学の知識を与えた者だとと言うことを。

「・・・まぁ、ここで長々と話すよりも実際に見た方が早いじゃろう。アマネ、お主も色々有るじゃろうがそれも後での」

つまり、直ぐに終わらせられる話ではないと言う事だろう、そう理解したアマネは彼女の言葉に頷き返した。

「さて、それでは行くかの。きっと首を長くして待っておるからの」

トゥスクルがそう言うと男はしぶしぶながらも頷いた。
歩いて行ける距離ではないからと馬に乗せられたアマネはトゥスクルと共に馬に乗って歩く父の姿を見つめていた。一度として、彼女を振り返ろうとしない父の姿を。

1.泣き続ける事に意味は無くて

聞こえてくるのは、優しい子守歌。
孤独ゆえに、その優しさゆえに眠りを求めた大神を慰めるため、娘達が歌う調べ。
一人の娘は父を愛しく思うゆえに、その眠りを守ろうとし、もう一人の娘は父の悲しみを知るがゆえにその心がこれ以上傷つかないようにと願う。

眠りし神の名はウィアツルネミテア。全てのヒトの父にして、大神としてうたわれるもの。

 

 

 

 

娘の目覚めは突然だった。大地が大きく揺れ、全ての者達が地にはいつくばる中、娘一人だけ地に足を立て空を見上げていた。

「・・・どうして、まだ早い?」

娘の口からそんな言葉が漏れ出る。けれどそれは誰にも聞かれる事無く消えていった。
娘の名はアマネ、生まれた時に付けられたものとは違うが、これも彼女の父が付けてくれたものだった。
アマネはこの名前が好きだった。父親の声でそう呼ばれると、何とも言えないほどのうれしい気持ちに包まれた。

けれど同時に悲しかった。自分は彼の娘だけれど、彼の血を受けて生まれたわけではない。
父はいても母と呼べる存在もいない。その事実はアマネが彼の望む存在には決してなれない事を示していた。

それでも彼女は父を求め続ける。決して彼の安らぎとなれぬと知っていながら。


【あとがき】
一話目というよりプロローグです。

3.間違えちゃった・・・・!?

3.間違えちゃった・・・・!?

さすがに疲れていたのか、馬車に乗り込んで直ぐルークは意識を手放してしまった。がたがたと揺れる振動も心地よいと感じるほど深い眠りの中。馬車の椅子は屋敷の柔らかい布団とは比べ物にはならないほど固かったけれど、それでも野宿をするよりはずっとましだと思う。
ティアも漸く気が緩んだのか、隣で安らかな寝息を立ててい た。後はこのままバチカルまで到着するのを待てば良い・・・・・・と少し残念に思いながらもそう考えていた・・・のだが。

ガタンっ、と大きく馬車が揺れた。今までとは比較にならないほどの大きな振動に、慌てて飛び起きると前方から男の慌てる声と馬の嘶きが聞こえてきた。

「おいっ、どうした!!」
「ぐ、・・軍の戦艦が前に突然現れて、どうやら盗賊を追ってるらしい!!」

『そこの馬車、道を開けなさい。巻き込まれますよ』

戦艦のスピーカーからだろう、発せられた声に御者の男は手綱を握りなおし、興奮する馬達を何とか制御しようと試みる。だがその直後、今度は別な馬車がルーク達の乗る馬車の直ぐ脇をすり抜け橋の方へと走っていった。

「あの馬車を追ってるのか?」

窓から身を乗り出し、ルークは呆れたように呟いた。どんな凶賊が乗っているのかは知らないが、戦艦で追いまわさなければならないと思われるほど強そうには見えない。戦艦と比べるとあまりにもちっぽけな存在に、同情の念さえ浮かびかけたほどだった。が、次の瞬間起こった爆発音にルークはその考えを改めさせられる事になる。馬車が橋の半分ぐらいまで入った瞬間、轟音を上げて橋が落ちたのだ。ガラガラと崩れていく橋を前に、戦艦は停止せざるを得ない。

「橋が落ちた・・・・・・、あの馬車に乗ってる奴がやったのか?」
「ルーク危ないわ、いい加減戻って」

呆然とその様を見つめていると、いい加減痺れを切らしたのかティアによって無理やり馬車の中へと連れ戻された。

「ローテルロー橋が落ちちまうなんて・・・・・・。くそっ、漆黒の翼の奴らも無茶しやがる」
「漆黒の翼? あの戦艦が追っていたのがですか?」
「ああ、奴らの担当は第三師団だからな。まぁ、タルタロスまで出してくるたぁ、驚いたが」
「待てよ、タルタロスってマルクトの陸上装甲艦の名前だろ! どうしてこんな所をマルクトの戦艦がうろついてるんだ!?」

キムラスカ国内をマルクトの戦艦が走り回るなど、ただでさえ両国の関係は良好とは言えないのに。そんなことをしたら戦争にもなりかねない、と興奮気味に言うルークの言葉にあっさりと御者の男は言った。

「そりゃあ、ここら辺は国境に近いからな。最近じゃあキムラスカの奴らが攻めてくるってんで、警備も厳重になってるし」
「待って、ここはキムラスカ王国ではないの?」
「何言ってんだ。ここはマルクト帝国、マルクトの西ルグニカ平野さ」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・」」

全く予想もしていなかった答えに、興奮状態だった二人も黙り込む。

「・・・・・・・・・じゃあもしかして向かってる首都ってのは」
「おお、そりゃあ我らがマルクト帝国の首都、偉大なピオニー9世陛下が治めるグランコクマさ」
「・・・・・・・・やっぱり」
「そんな・・・・・そんなに遠くまで飛ばされていたなんて」

間違いでは済まされない自体に、二人とも呆然となる。ただでさえ不仲な両国。それにルークの生家であるファブレ家はマルクトでは酷く嫌われていた。勿論、首都に行ったからといって直ぐに捕まるような事は無いだろうが、キムラスカ王家の特徴を色濃く持つルークを見て、誰かが気付かないとは言い切れない。それに事故とはいえ、旅券も正式な手続きもなしに国境を越えたのだ。彼らの立場を考えても、国際問題に発達しないとは言い切れない。

「何か変だな、あんた達本当にマルクト人なのかい?」
「え、ええそうです。でも用事があってキムラスカまでいかなければならなくて」
「それじゃあ反対だったな。キムラスカならローテルロー橋を渡らずに、街道を南へ下っていけばよかったんだが。ま、橋が落ちた今じゃそれも無理だがな」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・」」

御者の言葉に二人は顔を見合わせ、そうして揃ってため息をついたのだった。

「んでどうする? キムラスカへ行くんだったらカイツールの国境を越えないといけないが。俺はそっちまでは行けないんでね」
「ここから一番近い街は?」
「そうだなぁ、エンゲーブだな。ちょっと道は外れるが大した距離でもないしな・・・行くなら乗せてってやるよ?」
「ああ、頼む」
「解った、んじゃあ少し遅れたからな。飛ばすからしっかり掴まってろよ」

言うが早いか、再びガラガラと大きな音を立てて走り初めた。馬車の中でルークはもう何回目になるか解らないため息をついた。

「仕方ないな、首都まで行くわけにはさすがにいかねえし」
「・・・・・・・・そうね。エンゲーブで何とか国境を越える方法を探しましょう」

落ち込んでいたがしっかりしたその口調に、ルークも頷いた。


***
 

「この道を真っ直ぐ行くとエンゲーブだ。今は収穫の時期だから、きっと賑わってるぞ」

グランコクマへと通じるテオルの森への道。ルーク達が飛ばされたタタル渓谷への道。そして、カイツールの国境へと続く三叉路の前でルークは馬車を下ろしてもらった。エンゲーブまで乗せていってくれると彼は言ったが、少し外の道を歩いてみたかったのだ。

「そうですか、ありがとうございます」
「良いってことよ、こっちも商売だからな。っと、それとコレはおまけだ。彼女さんと一緒に食べてくれ」

ごそごそ、と取り出したのは布に包まれたおにぎりだった。

「随分稼がせてもらったからな。朝飯未だなんだろ、それでも食ってくれや」
「・・・ありがとう」
「おうよ、じゃあ気ぃつけてな~!!」

ガラガラと音を立てながら、馬車は走り去った。あっという間にその姿は小さくなり、三叉路の中へと消える。

「にぎやかな奴だったな」
「そうね、がめつい所は有ったけれど悪い人ではなかったし」

そうだな、と頷きながらルークは貰ったおにぎりを包んでいる布を取った。少し大きめのおにぎりが二個、綺麗に並んでいる。

「何処かで食べて行こうぜ。ここら辺なら、魔物も大丈夫だろ」
「そうね・・・。そういえば昨日から何も食べてなかったし。さすがにお腹が空いたわ」

適当な場所を見つけ、一つずつおにぎりを取った。ぱくり、と一口含むと米の甘さと丁度良い塩味が口の中一杯に広がる。

「美味いな。何でだろうな、昔ガイに作って貰ったやつよりずっと美味い気がする」
「作り方はシンプルだけど、塩加減や具によって味も変わってくるし。これ、おかかなのね。お醤油の加減が丁度良いわ」
「ティアはおかかか。こっちは・・・・・って、お前もう食べ終わったのかよ」

見れば、ルークのおにぎりがまだ半分以上は残っているのに対し、ティアのおにぎりは綺麗に姿を消していた。男性が食べる用に作られただけあって、かなりの大きさが有ったはずなのに。

「え、ええ・・・。早く食べれるように訓練を受けたし。・・・・・・そんなに驚く事かしら」
「いや、そういうわけじゃないけどさ・・・・。俺、女って食うの遅いってずっと思ってたから」

それほど知り合いが多いわけではないが、ルークの周りの女性、シュザンヌやナタリアはどうしてこれほど、と思うほど食べるのが遅い。女性が大口を開けて食べ物と頬張るのはマナー違反だ、というのは聞いた事があるが、ちびりちびりと食べている彼女達を見ると、本当にあれだけの量で味が解っているのかと思いたくなる程だ。なにより彼女達と一緒に食事をすると、そのちびり、ちびりと食べ終わるのを待たなければならない為、彼女達との食事は遠慮したいとさえ考えていたりした。

「それは・・・軍人は何時いかなる時も、その時の状況に応じた行動を取らないといけないし、ゆっくり料理を味わっている場合ではない事が多いもの。それに私は音律師(クルーラー)だから・・・・」
「ああ、それで大口なのか・・・・」

ルークにとっては何気ない一言。けれどティアにとっては、というより年頃の女の子が大口と言われて喜ぶはずもなく 、パシッ、と頬に軽い衝撃を感じ、驚いて目を丸くするルークの視界に飛び込んできたのはなぜか肩を活からせて1人でエンゲーブの方へと歩いていくティアの後姿だった。

「ちょっ、ティア何するんだよ。ってか1人で行くなって」

慌てて残ったおにぎりを口に頬張り、ルークはティアの後を追った。だがルークが追いついても、ティアはその怒りを治めようとしない。

「何突然怒ってんだよ。俺なんか悪い事言ったか?」
「・・・・・・・・・・・・・・ばか」

心底訳が解らなさそうなルークの態度にティアの怒りはますます深くなる。結局、訳がわからないまま彼女の後を着いていくルークと怒り続けるティア。そんな2人の道中はエンゲーブに着くまで続いたのだった。


***


最初に2人を出迎えたのは二羽の鶏だった。何処かの農家で飼っているのだろうが、放し飼いにしては随分と自由なんだな、とルークはコッコ、コッコと鳴きながら道を縦横無尽に歩き回る鶏に呆れた眼差しを向ける。
村へ一歩足を踏み入れた途端、果物や野菜の濃い匂いが2人を包み込んだ。賑わっている、と言った御者の男の言葉は間違いではなかったようだ。数歩進むと道のあちらこちらに露天が並んでおり、どの店先にも今採れたばかりであろう色鮮やかな野菜や果物が並べてある。

「今朝取れたばかりのりんごだよ、お兄さん一つどうだい?」

その中で一際威勢の良い声がルークの耳に届く。振り向けば、頭に白い手ぬぐいを巻いた男がりんごを手に呼び込みをしていた。

「・・・・・・・・これってりんごか?」

ルークの前には色鮮やかなりんごが決して大きくはない屋台の上に所狭しと並んでいた。きょとん、と目を大きくするルークに屋台の男性もティアも何を言ってるのか、という顔をする。

「おいおい、見りゃ解るだろうが。これがりんご以外の何に見えるってんだ?」
「いや・・・・・、そうなんだろうけどさ。皮がついたままってのは見た事無くて」

ルークの言葉に今度は2人が絶句する番だった。だがしげしげと珍しそうにりんごを見続けるルークの様子に、それが嘘や冗談ではないという事を悟る。ルークの生家であるファブレ家は王家に次ぐ力を持つ公爵家だ。母であるシュザンヌは現王インゴベルト6世の妹でもある。
そんな高い地位にある家で使われる食糧は吟味を重ねた最高級のものばかりだが、どれほど素材が良くとも彼らの前に出る時は皮を剥かれ、料理人が手を尽くした姿となって現れる。決して生のままのりんごを丸かじりする、などという”無作法”が有るはずも無い。だが、幾らなんでも17年生きていれば生のりんごぐらい見る事も有るだろう。それこそ街に出れば幾らでも見る機会もあるだろうに とルークの”事情をを知らないティアは呆れた表情を浮かべる。

「おいおい、どういうお大尽様だ兄ちゃん。生のりんごを見た事が無いなんてよ」
「あ・・・屋敷では何時も料理されてから出てくるから。後はメイドが皮を剥いて、切ってからとか」
「か~っ!! りんごは生のままかじるのが一番美味いんだぜ! 特に俺の作ったりんごは皮だって甘いし柔らかいんだ、ほれ食ってみろ!!」

力いっぱい差し出されたりんごをついルークは受け取ってしまう。お金も払ってないのに良いんだろうか、と目の前にいる男に視線を向けるが、男は『さっさと食え』とルークを促してくる。本人が良いって言ってるんだし、なら大丈夫かなとルークは手にしたりんごを一口齧った。しょり、という音と共に口の中に甘い果汁と柔らかい実の味が広がる。少し酸味を感じるのは皮がある為だろうか。けれど決して不快なものではない 、寧ろ甘さを引き立てて更に美味しく感じるほどだった。

「美味い・・・・!!」
「そうだろう、そうだろう! そりゃあ、菓子や料理に使っても美味いがな、りんごは生のまんまが一番美味いんだぜ。おう、姉ちゃんも食ってみるか?」

しょりしょり、と一心不乱にりんごを齧り続けるルークに気を良くしたのか、男はティアにもりんごを差し出した。

「いえ、私は・・・・」

さすがに2個も貰うわけには、とティアは咄嗟にそれを辞退する。するとルークはそんなティアに不思議そうな眼差しを向けた。

「食ってみろって、本当に美味いぞ。さっきみたいに大きな口開けてさ――――」

最後まで言わないうちに、パシッ、という音と再び頬に軽い衝撃を感じた。

「ばかっ!!」

そして先ほどと同じ台詞を投げ、ティアはルークに背を向けて走り去る。

「・・・・・・・・・・ティア?」

その様を何が何だかわからない、という風に(頭が追いつかなかった)見送ったルークは、直ぐ隣で男の哀れむようなため息を聞いた。

「おいおい、兄ちゃんよぉ・・・・。女の子に向かって大口はないだろうが」
「言ったら駄目だったのか・・・?」
「まぁ、言われて喜ぶ女はそう居ないな。さっさと謝っちまいな、女の怒りは長引かせると怖いからな」

ははは、と乾いた笑いを浮かべる男は、どうやら女の怒りとやらに経験が有るらしい。ルークは一つ頷くと、「ありがとう」と礼を言い駆け出した・・・・・・が、途中でその身体がくるっと反転する。そうして屋台の前に戻ってきたルークは、ポケットから2ガルドを取り出すと男の前に差し出した。

「これ、りんごの代金。美味しかった、ありがとう」

その几帳面な様に、思わず男の顔もほころんだ。

「良いって事よ。ってそうだ、折角のお客さんだからサービスしないとな」

そう言うとりんごを一つルークの前に差し出した。

「これはサービスだ、あのお嬢さんにも食べさせてやってくんな」

その言葉にルークはふわり、と微笑むと「ありがとう」と言って再び走り出した。りんごのような紅い髪がふわりと揺れて去っていく様を男はにこにこしながら見送った。「いや~、今日は良い客に会ったなぁ」、何て上機嫌になりながら再び客の呼び込みを始める彼は。まさか自分が与えたりんごのせいで、彼らが窮地に陥る、などということを想像もせずに。


【あとがき】
やっぱり林檎イベントは外せませんので。

2.魔物とぼったくりにはご用心

2.魔物とぼったくりにはご用心

「ここは何処なのかしら・・・・? 随分と長く気を失っていたような気もするけれど」
「ああ、屋敷に居たころはまだそんなに日は翳ってなかったと思う。超振動っていうのか、俺達が巻き込まれた力は?」

とにかく現状を把握しようと周囲を見回してみるが、見えてくるのは人工の力など一切入った形跡のない岸壁や轟々と音を立てて流れる水の姿だけ。眼前は海だが、指針になるような島の姿も見つけられなかった。

「ええそうよ。私の第七音素と貴方の持つ第七音素が共鳴して、振動を起こしたの。威力は個人が持つ程度にもよるけれど・・・・・・ルーク、貴方譜術士としての訓練は受けているの?」
「え、ああ・・・少し習った事はあるけど。でもそれほど詳しくは」
「そう・・・・・・、ならそれほど遠くへは飛ばされていないかもしれないわね。・・・・・・・・謝って済むことじゃないでしょうけど、ごめんなさい。貴方は私が絶対にお屋敷まで届けるから」

ルークを巻き込んでしまったことを気にしているのだろう。屋敷にいきなり現れ、ヴァンやルークに切りかかってきた時の勇ましさは欠片も無い。それにしても可笑しなものだとルークの口元に苦笑が浮かぶ。屋敷を襲った襲撃犯である彼女とこんな風に呑気に話しているなんて。監禁状態とはいえルークも最低限の知識は身につけていた。公族の屋敷に忍び込んだ彼女がこのまま無罪放免というわけにはいかないだろう、という事も理解できている。それでも彼女を責める気持ちがわいてこないのは、巻き込まれたのが自分だけだったという事と、屋敷の者達が無事であるとわかっていたからだ。襲撃の際に聞こえた譜歌は、他者を眠りへと誘う力を持ったもの。狙いがヴァンだけだった、という彼女の言葉に嘘はないのだろう。

それに――――-

ちらり、とティアへと視線を向ける。彼女は周囲をうかがっているのか、きょろきょろと世話しなく青い瞳を辺りにさ迷わせていた。

『ああ、やっぱり似ている---―」

ローレライの記憶の中にあったユリアと重なるその姿。何の因果か、髪や瞳の色まで同じとは。雰囲気や物腰はユリアの方が彼女よりずっと大人びているのに、それでも本当に彼女が目の前にいるようでどうにも気持ちが落ち着かない。

「・・・・・・・・解った、でもバチカルまでで構わない。屋敷には俺1人で戻るから」

だからだろう、どうしても彼女への対応が甘くなってしまう。本来なら公爵邸を襲撃した犯人として捕らえなければならないのに、別人だと解っていても彼女が捕らえられるところを見たくない。そんな想いの方がどうしても勝ってしまった。彼女の理由や思惑がどうであれ、ファブレ邸という公爵貴族の屋敷を襲撃の場に選んだ以上、彼女が犯罪者である事には変わりなく、もう一度バチカルに赴いたりすれば、拘束されてしまう事は目に見えていた。だからこそルークはここで彼女と別れた方が良いと、そう答えた。なのにティアはルークのその言葉を聞いた途端、ユリアに似たその表情を不服そうにゆがめた。

「何を言っているの? 巻き込んでしまったのは私のせいなのよ、私は貴方を無事に屋敷に送る責任があるの。勝手な事を言わないで聞き分けて頂戴」

単に自分の責務を果たしたいからルークを屋敷まで送るのだ、と言うような彼女の発言に今度はルークが眉をしかめる番だった。「屋敷まで送ると言った」あの言葉は彼を気遣ってではなく、自分のためなのだと平然と言葉にする彼女にルークは自分を優しく包んでいた夢が覚めていく感覚を覚える。

「・・・・・・・・・お前、屋敷まで来るつもりなのか?」
「当たり前でしょう、何度も同じ事を言わせないで。さぁ、もう行きましょう夜の渓谷は危険だわ」

そう言うと、ティアはルークの脇を通り抜け眼前の海とは逆方向へと歩いていく。その後姿がもうこの話はもうおしまいだ、と言っているようであったがルークは突然彼女が離れていこうとする事に驚いて呼び止める。

「待てよ、ここが何処だか解らないんだろ、迂闊に動いたら・・・!」
「水の音がするから大丈夫よ」
「え!?」
「川の流れに沿っていけば海に出られるはずだわ。とりあえずこの渓谷を出て海岸線を目指しましょう。街道に出れば辻馬車もあるし帰る方法も見つかるはずだわ」
「・・・・・・・・そういうものなのか?」
「そうよ。貴方そんな事も知らないの?」

知っているのが当然だと言わんばかりの口調に流石にルークも反論しかけた。
が、それよりも先に周囲に漂う気配に気付いた為にぐっとその言葉を飲み込んだ。静寂の中、確かに自分達を伺う気配がする。動物のような、けれどそれよりももっと猛々しい気配が。

「魔物だろうか」、とルークは屋敷を飛ばされる際も掴んでいた木刀をぐっと握り締める。人の手の入っていない場所に住む魔物は縄張り意識も強く、そして凶暴な性質のものが多い。神託の盾騎士団の軍服を纏う以上、ティアは軍人なはずだ。稽古はしていても実戦の経験は無い自分より戦闘能力は高いだろう。ならば戦闘は彼女に前面に出てもらっても構わないか、とそう考えた時だった。

「魔物がいるわ・・・・・・」

近くの草むらがガサリ、と揺れ緑色の物体がゆらゆらと長い触手のようなものを揺らしながら出てきた。其れに対しティアがナイフを投げつけるとピキィー、と甲高い鳴き声をあげて後退する。図体やその動きから見ても、それほど強い魔物ではないようでこれならティア1人でも大丈夫だろうと咄嗟に構えていた木刀を下ろそうとした時、ルークの直ぐ後ろの草むらからガサリと揺らめいた。

「!!」

突然飛び出てきた存在を、咄嗟に身体をそらす事でかわしたものの、僅かに魔物の角がルークの衣服を纏っていない部分に触れてしまう。けれど擦れた痛みに顔を歪める暇もなく、ルークの身体を傷つけた魔物は、直ぐ様身体を反転させるとルークの方へ再び走り寄ってきた。木刀を振り上げる暇などない、と悟ったルークは咄嗟に木刀を前へと突き出した。
勢いに任せて走りよってきた魔物は、当然避けることも止まる事も出来ずに、それを正面から受けてしまう。赤い血液が木刀の刺さった部分から噴出し、ピキィーと甲高い声を上げながら魔物は地面を転がった。
だが致命傷には至らなかったようで、直ぐに起き上がると頭から血をたらしながらも再びルークへと向かってこようとしていた。

「ルーク、手負いの方がずっと危険なのよ。倒すならしっかりやって頂戴!」

随分勝手な言い草だ。ナイフや金属製の杖を所持しているティアと違い、ルークの武器は木刀だけだ、どうしたってダメージが軽減されてしまう。それに何を考えているのかティアは己が立つ今の位置から動くそぶりは見せず、しかも詠唱を始めてしまったのだ。彼女は譜歌の歌い手であるし、これまでも後方支援的な役割を担っていたのだろうけど、この場合は民間人であるルークを護り彼女が前線に立たなければならないはずだ。少なくとも屋敷まで送り届けると公言しているのであれば尚更だろう。

だが今その事に文句を言っている暇などルークには無かった。初めての実戦、しかも相手は人間ではないとはいえ、自分と同じ血を身に持った生きた相手なのだ。剣を習っていたのは何時かはそれを振るう日が来る事を想定してのことだった。自由は無いが確かに身は護られるあの屋敷を何時かは出なければならないと理解していたから。
だからこそ己の力だけで立てるようにと、剣を学んだ。自らの意思で。なのにいざその場になってみて、自分の考えがいかに甘いものであったかと実感する。例え人型ではなくとも同じ命を持つ存在を撃たなければならないという重圧。血を流しながら、まるで自分は生きているんだぞ、と宣言するように自分に向かってこようとする魔物に対し、剣を向けなければいけないその恐怖がルークの中に渦巻く。

『・・・・・・・・・・深遠えと誘う旋律・ナイトメア』

だがルークが戸惑う間にティアの紡ぐ譜歌は完成し、闇色の譜陣が彼と対峙する魔物の周囲を取り囲んだ。

「ルーク、今よ止めをっ!!」
「っ!!」

目の前でガクリ、と倒れ付す魔物にティアの非情とも言える言葉が重なった。一瞬惑ったルークではあったが、緊張をずっと有していた体がその言葉にまるで押されるように意思とは関係なく動き出してしまう。魔物の身体へ向かってルークは力一杯木刀を叩き込んだ。鳴き声こそあげなかったものの、木刀を叩き込んだ瞬間、魔物はビクリと身体を痙攣させ、そしてもう一度ルークが剣を叩き込み――――今度こそ完全に動かなくなった。

はぁはぁ、と荒い息がルークの口から飛び出る。身体も手もがたがたと震えて全く自分の自由にはならない。木刀にもそれを握る手にも魔物の血が飛び散り、赤く染まっていた。早くぬぐいたくてたまらないのに、身体は目の前でぴくりとも動かなくなった魔物から視線が離せなかった。

「ご苦労様、良い動きだったと思うわ。でも敵は何処から現れるか解らないのよ、次は気を抜かないようにね」
「・・・・・・・・・・・・・・・お前・・・・」

今、目の前で一つ命が消えた。ルークが、そしてティアがそれを行ったというのに彼女の口調は常と変わらない。それどころか未だ戦闘の緊張も冷めないルークへ「さぁ、もう行きましょう。次の魔物が出てくると厄介だわ」、と言ってさっさと身体を反転させてしまう。

「・・・・・・・・・っ!!」

とても”軍人らしい”態度にルークは喉元まで手かかっていた言葉さえ引っ込めてしまう。”何も殺さなくても・・・”、ともう少し彼女の言葉が遅ければルークはティアにそう言っていただろう。ティアの譜歌は魔物に充分に効いていた。眠らせたのであれば、こちらを襲ってくる事もないのだから、あのままで良かったのでは、と。けれど確かにティアは止めを、とルークに促しはしたが実際に手を下したのはルークであって彼女ではない。命を奪ったのはルークだ、彼女にその事を告げるのも咎めるのも間違いだろう。

はぁ、と一つため息をついて漸く緩和してきた足を一歩後ろへと向けた。その瞬間、ぴしゃり、と足元で水が跳ねるような音が響いた。譜業灯は無いけれど、その分自然の明かりが強く周囲を照らしている。きっと足元を見れば緑であったはずの草は赤黒い色に染まっている様子が視界に入ってくるのだろう。今纏う服は白色を基調としているけれど、ズボンの色は黒くてよかったとルークは心から思った。ズボンまで白かったら、きっと酷い色になっていただろうから。

もう一度、はぁ、とため息をつき、ルークもティアの後を漸く追いかけ始めた。

 

 

 

***

 

 


月明かりのお蔭で、夜道を歩くのはそれほど困難ではなかった。時々襲ってくる魔物と戦闘を交わしながら、ルークは少し後ろを歩くティアへ気になっていた事を尋ねてみた。

「なぁ、お前何でヴァン師匠を襲ったんだ」

さっきと同じようにピクリとティアの肩が小さく震える。だがいずれ聞かれることであったと予想はつけていたのだろう 、表情に動揺は見られない。

「プライベートな事よ、貴方には関係ないわ」

簡単な、というか余りにもそっけない返事にルークの口から自然とため息がもれる。

「あのなぁ、こうして巻き込まれている時点で充分関係あると思うんだけど」

少なくとも理由を聞くぐらいには、というルークの言葉にティアは口ごもる。だがその口は縫い付けられたように固く閉ざされ、開く事はなかった。はぁ、と再びルークの口からため息が吐き出された。

「理由を言いたくないんだったら、仕方ねぇけどさ。・・・・・・なぁ、もう一度聞くけどお前本当にバチカルまで着いてくるのか?」
「何度も同じ事を言わせないで頂戴。私は貴方を無事に送り届ける義務があるのよ」

取り付く島も無い、とはこういうことを言うのだろう。ここが何処かは知らないが、バチカルまでの道のりが短いものだとは決して言い切れない。その距離を一緒に進むのだ、少しは心を開いてもらっても良いのではないか。そんな風には思うものの、いきなり初対面の人間にプライベートな事を話す人物など居ない、という事も解るルークにはそれ以上の事を尋ねる気にはなれなかった。

ただ、良く似た少女の面影に自然とユリアとティアを混同してしまっており、自然と態度が軟化したものになってしまうユリアはティアではない。そう思うものの、何となくユリアに冷たくされているように思えて、少し落ち込んだ気分のままルークは川に沿って道を歩き続けた。

川に沿って暫く歩いていた2人だったが、他の場所よりも木の密度が高いS字型の道を通り抜けた瞬間、突然視界が開けた。空を覆っていた木々が切れ、星空が2人の頭上に広がる。其処が渓谷の出入り口なのだと示す看板が茂みに隠れるように立ててあるのを発見したルークが近づこうとした時だった。ガサリ、という草を踏む音と次の瞬間ガタン、と何か落ちる音が響いた。
また魔物が隠れていたのか、と咄嗟に身構えた2人であったが其処に居たのは酷く情けない表情を浮かべた人間の男 だった。

「あ、あ、あんたらもしかして”漆黒の翼”か!!」

酷く震えた声の男の言葉に2人はきょとん、という表情を浮かべた。

「”漆黒の翼”?」
「確か、マクルトを拠点にしている盗賊の名前だったと思ったけれど・・・。あの、私達は盗賊ではありません。道に迷ってここに入り込んでしまったんです」

ティアの言葉に男は一瞬目を大きく見開くと、今度はまじまじと2人を見つめ始めた。そのぶしつけな視線はお世辞にも気持ちのよいものではなかったけれど、誤解は早めに解いておいたほうが良いと何とか我慢をする。

「・・・・・そういえば、”漆黒の翼”は男2人に女一人って。あんたらは2人だよな、でも隠れてるってことも」
「有りませんし、私達は盗賊でもありません」

中々疑いを解いてくれない男は、感情の高ぶりもあり失礼な事を言って来るけれど、ここは感情を露にするよりも誤解を解いておいた方が良いだろうと好きに言わせておく。

「・・・・・おい、あんたさ俺達を疑ってるけど、自分だってこんな所で何をしてたんだ?」

だが一人でぶつぶつと言い続ける男に、さすがに辟易したルークが男に問いかける。

「へ、俺は馬の為の水を汲みに・・・・・・。辻馬車の車輪が壊れちまってな、やっと修理が終わったんだがこんな時間になっちまったんだよ」
「辻馬車!? それは何処まで行くものですか?」
「あ、ああ首都までだが」

男の言葉に2人は顔を合わし、頷きあった。

「好都合だな、乗せてって貰おうぜ」
「ええ、首都まで2人ほどお願いできますか」

そう言った瞬間、男はころっと態度を変えた。

「何だ、お客さんかよ。さっさと言ってくれよな、そういうことは」

言わせなかったのはお前だろう、と内心で毒づく言葉をぐっと飲み込んだ。

「それじゃあ、首都まで2人合わせて・・・・・そうだな1万2000ガルドってとこだな。前払いで頼むよ」

うきうきと金額を言葉にする男(現金な奴だと思ったが)とは対照的に、ティアの表情が曇る。

「・・・・・高いわね」
「そうなのか?」

辻馬車の相場など知らないルークがティアに尋ねる。

「相場の2倍よ。幾らなんでも、ぼったくりだわ」
「街から乗せるんだったら相場の金額を貰うんだが。あんたらは外でのお客さんだからな。外で馬車を止めたりしてると、何時魔物や盗賊に襲われるか解らねえし、ま、危険手当がつくってことだ」
「そんな無茶苦茶な・・・」

街中で適応されるルールや法が、外では幾分か緩和されるという事はルークも知っていた。街の外まで目が届かないというのも理由の一つなのだろうが、男の言った通り街中と同様のルールを受け入れて自分の身が危険に晒される場合も多いのも事実だ。身元がはっきりしない者を受け入れ、もしそれが盗賊だったとすれば財産はおろか自分の命さえも奪われる可能性がある。

「屋敷まで行って貰えれば、それくらい直ぐに払える。後払いじゃ駄目なのか?」
「こっちも商売なんでね、今すぐに代金をもらえないってんなら乗せるわけにはいかねえな」

商売とはいえ非情な言葉にルークの眉根が上がる。これではどちらが盗賊なのか、弱みに付け込んで、金を多く取ろうとする男の様子は正直見ていて気持ちのよいものではない。ふと、ティアの方を見ると何やら悲壮な面持ちで胸元の辺りを握り締めている。法衣に隠れてはいるが、そこに小さな―恐らくペンダントだろう―膨らみを見つけたルークは、更に一層眉根を寄せた。

「どうするんだ、払えないって言うんだったら・・・・・・」
「待ってください、これで・・・・」
「ほら、これで足りるだろ」

ティアがペンダントを取り出すよりも早く、ルークは首にかけていたネックレスを男に向かって投げていた。弧を描いて落ちてくるそれを男は慌ててキャッチする。小さいがその分凝ったデザインが施されたネックレスが月明かりにキラキラと輝いていた。

「底値でも2万はする。あんたの危険手当って奴と合わせても充分だと思うけど」
「ルーク、駄目よそんな高価なもの!! お金なら私がっ!!」

ティアもペンダントを差し出そうとするが、ルークはそれを手で制した。

「代金は払ったんだ、もう馬車に乗せてもらっても良いだろ」
「ああっ勿論だ!! っと、その前に水を汲みに行かせてくれ。馬車はこの直ぐ先に止めてある、好きに使っててくれ」
「解った、行こうぜティア」

上機嫌な男は直ぐ様転がった桶を拾いあげると、川の方へ歩いていく。現金な奴だな、と思いながらもいい加減それを口に出すのもおっくうになってきていたので、ルークはさっさと馬車の方へと歩きだした。

「・・・・・あの、ルーク」

だが後ろの方で小さな声がルークを呼び止める。振り返ると申し訳なさそうに俯いたティアの姿があった。

「ごめんなさい、私のせいでまた・・・・」

悲壮感さえ漂わせるティアに、再びルークは何とも言えない感情を抱く。そんな顔をさせたくて、したことではないのに。迷惑をかけてしまった―――、と続く言葉に悲しささえわいてくる。

「・・・・・・・別に、あんなの大したもんじゃない。それよりお前一々気にすんなよ。そんな顔で何度も謝られるとうざいって」
「え、ええ・・・ごめんなさい!!」

無意識にだろう、再び謝罪の言葉を口にしたティアにルークは思わず顔をそらしてしまう。こんな時、幼馴染の彼ならばもっと良い言葉を紡げるのだろうが。自分にはそんな語彙など無い。代わりに出るのはため息ばかりだ、とまたため息が口からもれる。聞こえてしまったのだろう。ティアの気配がまた沈んだのを感じ、ルークは技とそっけない口調で言った。

「ほら、さっさと行くぞ」

言葉と共に歩きだすルークに、慌ててティアも歩き始めた。その小さな足音を聞きながら、ルークはまた(今度は聞こえないように)ため息をついた。すれ違いばかりの感情に、ルークはもっと語彙を勉強しておけばよかった、と後悔する。けれどそういう問題でもない、と言う事にルーク自身は未だ気付いていなかった。


【あとがき】
ネックレスは首周りのチェーン部と胸元のトップ部が一体にデザインされた宝飾品で、ペンダントは、チェーンなどに付けて使う宝飾品だろうです。なので、ルークのはネックレス。

1.初めて出会ったけれどとても懐かしい

さやさやと風を受けて花が揺れる。月の光を受けて白く輝く花―それがセレニアと呼ばれていると言う事は少女が死んで随分経ってから知った―が、まるで絨毯のように隙間無く咲いていた。まるで花自身が白光しているかのような光景に、一瞬息をするのも忘れるほど見とれてしまう。

『ああ――――そうだ、彼女はこれを望んでいた・・・・・・』

唐突に蘇った記憶。何が欲しい、と聞くと少女は白い花が欲しいと言った。闇の中でも咲く白い花が欲しいと。彼女と会話が出来るのもあと僅かだろうと言う事は惑星の記憶を司る"彼"で無くとも解っただろう。其れほどまでに彼女の変わりようは凄まじかった。別れの前にもう一度声を聞きたかった。そう思って尋ねた自分に彼女は欲しいものがある、と言った。

『花がね、欲しいの。陽の光を浴びなくても育つ白い花が、研究してみようとはしたんだけど駄目ね。預言(スコア)を詠むみたいに上手くはいかなかったわ・・・』

寝台に横たわりながら、彼女は窓の外を指差した。既に彼女は自力で起き上がる事が出来なくなっていたが、横たわりながらも景色が見れるようにと窓には工夫がされていた。彼女の子供や夫が世話をしているのか、その先には赤や青の花びらを付けた花々が植わった花壇がある。だが月や星明りがどんなに明るく照らそうとも、太陽の光の中で見るよりも色はくすみ、鮮やかさは欠片も無い。それを見た瞬間、何故彼女がそんな事を言い出したのかが理解できた気がした。白い花、しかも闇の中で太陽の光を浴びずとも咲くそんな特別な花を必要とする場所など自分は一つしか知らなかったから。

何故今になって、という気もしたが、今だからこそ欲しくなったのかもしれない。自分の死期が近い今だからこそ―――。

太陽の光を必要としない花を作る事はそう難しいことではなかった。光の代わりに第七音素(セブンズフォニム)を吸収し、成長するように手を加えてやれば良いだけの事だったのだから。猛毒の風が満ちた魔界(クリフォト)は、高濃度の音素(フォニム)が満ちる地でもある。人が住めなくなり捨てざるえなくなった地が、嘗て彼らが最も望んだ場所になるとは何と皮肉な事だろう。もっとも、魔界(クリフォト)の音素(フォニム)は瘴気と結合してしまう為、もし身体に取り込めば猛毒も一緒に取り込んでしまうことになるのだが。

 

 

「ここ・・・・・・何処だ?」

 

 

圧倒されるほどに美しい景色も時間が経てば幾分かは慣れてくる。
懐かしい思い出は未だに心の大半を縛り付けてはいるが、周囲を観察する余裕は戻ってきていた。
ざっと見た限りでは街の象徴である譜業灯や民家の明かりは見当たらない。近くに川があるのだろうか、虫の声に混じって水の流れる音が聞こえてくる。

そして、人のものではないそれよりもずっと研ぎ澄まされた気配が闇の中に幾つか感じられた。野生の動物よりもずっと猛々しい気配を帯びたそれは魔物のもの。どうやら随分と人里離れた所へ来てしまったらしいとルークは小さくため息をついた。
オールドランドには強弱の違いはあれ、至る所に魔物は生息している。だが人が住む場所、つまり村や町などだが、そういった場所に住む魔物は定期的に駆逐される為、これほど濃い気配を感じることはなかった。

群青色に染まった空を見上げれば、これまた街の明かりに邪魔をされていない自然なままの星が輝いている。だが生憎と星を詠んで方角や自分の居る場所を知る、などという高度な技術を自分は身につけてはいなかった。まさかそんな技術が必要な状況に陥るとは思いもしなかったから。

まぁ、今そんな事を言っても仕方が無いのだとルークはため息を飲み込みながら、とりあえず自分をこんな場所に連れてきた原因となった人間を見てみようと身体を反転させる。

"彼女"はまだ意識が戻らないのか、身体の大半を白い花の絨毯の中に埋めていた。ルークはとりあえず怪我が無いかどうか調べようと、その身体を起こそうとして――――固まった。

「―――ユリア?」

月明かりが見せた幻か、それとも未だ心を占める思いの為か。抱き上げた少女の姿は、嘗て自分が知っていた少女のものととても酷似していた。

「・・・・・・ぅっ・・・」

声に反応してか、腕の中の少女が僅かに身じろぐ。高まっていく鼓動に合わせるように序々に開いていく瞳、けれど自分は見る前からその瞳の色が解っていたような気がした。



彼女が最も愛した色だ。空の色、海の色、そして"彼女"の色。
二度、三度の瞬きの後、完全に開かれた少女の瞳はやはり想像したとおりの"青"。知らず苦笑がルークの口からもれ出る。これは何かの冗談なのだろうか?

 

『白い花を植えるわ。魔界(クリフォト)に、そしてここにも。遠く離れていても同じ花が咲くのよ。大丈夫、何時かきっとこの二つの場所が元に戻る日が来る』

 

"彼"が渡した花を見ながら、彼女は満足そうに呟いた。その言葉は彼女が詠んだ預言(スコア)とは遠く離れた言葉だったけれど、彼女の願いでもあったから。

「貴方は・・・? 私達超振動で飛ばされてしまったのね・・・・・・・。ごめんなさい、私の責任だわ」

ああ、声まで似ている、とルークは喉元まででかかった言葉を飲み込んだ。

ユリア―――――これは、何かの冗談か?
それとも貴女はこれが見えていたのか? 今のこの瞬間を。



『そうすれば、きっとまた会える・・・・・。きっと、それは"彼女"にもう一度会える日になる。そうでしょう、ローレライ・・・・・・・・』



「私は、ティアよ。貴方は私が責任を持ってバチカルのお屋敷に戻すから。ルーク」
「ああ・・・・・・、頼む」

セレニアの花。ユリアの願いによって生まれた花が咲く中、少女と出会った事は偶然、それとも必然なのだろうか。




【あとがき】
ルクティアではありませ~ん。

Quinroze

QuinRoze

・Alice in Heart
ユリウス×アリス中心
・どうしようもない片思いで10のお題
・森


お題提供:善悪の彼岸 / アルフェリア

Tales of the ABYSS-Phantasmagoria-

・Phantasmagoria
ジェイド→ルーク←ピオニー ルーク特殊設定 仲間厳し目

1.初めて出会ったけれどとても懐かしい
2.魔物とぼったくりにはご用心
3.間違えちゃった・・・・!?
4.一体俺が何をした!

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